川崎巨泉

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かわさききょせん

川崎巨泉
生誕 1877年
堺県(現・大阪府堺市)
死没 1942年
職業 画家
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川崎巨泉 (かわさききょせん)(1877年 - 1942年)は郷土玩具画家。

人物

本名は川崎末吉。1877年に堺県 (現・堺市)に生まれる。他の雅号では人魚洞・芳斎・碧水居とも称した。子供のころから絵が得意で、明治25年(1892年)堺に住んでいた浮世絵師中井芳滝に師事した。一時期は芳滝の師事を離れて東京に絵を学びに行くが、数年で堺に戻って大阪に移住した芳滝に再び師事し浮世絵の手法を学んだ。その後芳滝の娘と結婚し養子となって芳滝の遺志であった新聞・雑誌の挿絵や連載物の他にシリーズで発刊されていた刷物風俗画作品(『大阪名所』)を引き継いだ。

郷土玩具との出会い

明治36・7年頃より全国各地を旅して郷土玩具に関心を示し、多数の郷土玩具向け絵画を描いた。郷土玩具の特徴である素朴な美しさに着目し、多くの写生画を描く傍らライフワークとして郷土玩具研究会を主催した。『人魚』等の専門誌を発行して多方向から郷土玩具を研究した。

人魚洞文庫

大阪府立中之島図書館には雅号の1つである人魚洞にちなんだ人魚洞文庫があり、玩具帖全52号・巨泉玩具帖1巻1号~6巻10号までの全112冊の玩具絵画が所蔵されている。

系譜

歌川豊春━歌川豊国━歌川国芳━歌川芳梅━中井芳滝━川崎巨泉

関連図書

  • 『郷土玩具の先覚・川崎巨泉翁を偲ぶ』川崎巨泉供養会編 1979年
  • 『和のおもちゃ絵・川崎巨泉』森田俊雄著、社会評論社 2010年
  • 『郷土玩具の新解釈 無意識の“郷愁”はなぜ生まれたか』 加藤幸治著、社会評論社刊 2011年

関連項目

外部リンク