岡本久暢

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岡本久暢
時代 江戸時代
生誕 享保6年(1721年
死没 宝暦3年1月22日1753年2月24日
別名 安之丞
諡号 良節
墓所 浅草東國寺
氏族 岡本氏
父母 父:岡本久包、母:近藤茂大夫娘    
兄弟 真野貞國室、山本正職室、久暢横尾宅平室(久暢養女)
横尾宅平(養女)、久忠(養子)
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岡本 久暢(おかもと ひさのぶ)は、江戸時代旗本

略歴[編集]

江戸城奥右筆組頭岡本久包の嫡男として生まれる。

享保20年(1735年12月11日徳川吉宗に初めて謁見し、延享3年(1746年11月3日、父久包の死に伴い家督を継ぎ、小普請となる。この時、まだ幼かった妹を引き取り、やがて横尾家に嫁がせている。

子に恵まれなかった久暢は、叔母(父久包の妹。児玉氏室)の子を養子に迎えて久忠と名乗らせた。

宝暦3年(1753年1月22日没。享年33。

参考文献[編集]

出典[編集]