山田年貞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

2019年7月26日 (金) 12:09; SeitenBot (会話 | 投稿記録) による版 (Botによる: Category:浮世絵師の追加)(日時は個人設定で未設定ならUTC

(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)

山田 年貞(やまだ としさだ、生没年不詳)とは、明治時代浮世絵師

来歴[編集]

月岡芳年の門人、陽斎と号す。明治17年(1884年)に滑稽堂より刊行された『開明奇談写真之仇討』二冊(伊東専三編)の挿絵を、稲野年恒とともに描いている(表紙口絵は芳年が描く)。明治19年頃、芳年から門人に宛てた書状(芳年門人一覧)には「本郷根津片町壱番地 山田年貞殿」とある。また明治31年(1898年)5月建立の月岡芳年翁之碑では「芳年社中故門人」の中に名があることから、これ以前に没していたものとみられる。

参考文献[編集]