孫歆

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Kangoshiyouichi (会話 | 投稿記録) による 2011年3月28日 (月) 15:40個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

(そん きん、? - 280年?)は、三国時代の武将、。孫賁の孫。孫鄰の子。兄弟に孫苗、孫旅、孫述、孫震、孫諧。『三国志』呉志「宗室伝」が引く『呉歴』などに記録がある。

生涯

赤烏12年(249年)、父の孫鄰が死去した(『三国志』呉志「宗室伝」)。

孫鄰の跡は孫苗が継ぎ、その弟の孫旅や叔父らもしかるべき官職に就いたという(『三国志』呉志「宗室伝」)。

孫鄰の子のうち、孫述は武昌の督として荊州の統治にあたり、孫震は無難の督となり、孫諧は城門校尉、孫楽郷の督となったという(『三国志』呉志「宗室伝」が引く『呉歴』)。

279年呉討伐戦を起こすと、防戦にあたった。翌280年、晋の杜預が管定、周旨、伍巢らを率いて奇兵800人で舟で楽郷に夜襲を仕掛けると孫は大敗した。孫は味方の伍延に手紙を送り、「北から来た軍は空を飛んで江を渡ってきた」と告げたという。その後も連戦連敗し、孫は捕虜となり、身柄を洛陽に護送されたという(『晋書』「杜預伝」)。

小説『三国志演義』にも登場し、晋の急襲に驚いているうちに周旨に斬られている。

参考資料

  • 『三国志』
  • 『晋書』
  • 『三国志演義』