大炊御門経光

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大炊御門 経光(おおいのみかど つねみつ、寛永15年8月8日1638年9月15日) - 宝永元年9月6日1704年10月4日))は、江戸時代前期の公卿。おもに後光明天皇(110代)・後西天皇(111代)・霊元天皇(112代)・東山天皇(113代)に仕え、官位従一位左大臣まで昇った。父は従一位左大臣大炊御門経孝。母は家女房。正室は細川立孝の娘。子に内藤義竜内藤義恭猶子)、娘(鷲尾隆長室)、養子大炊御門信名近衛基熙の次男)がいる。

正保2年(1645年)に叙爵。以降累進し、万治2年(1659年従三位にすすんで公卿に列した。万治3年(1660年)に権中納言寛文3年(1663年)に正三位権大納言神宮伝奏となる。寛文4年(1664年)には踏歌節会外弁。延宝3年(1675年)には右近衛大将となり、延宝6年(1678年)まで在職。延宝5年(1677年)には内大臣となり、天和元年(1681年)まで在職した。延宝8年(1680年)には踏歌節会内弁。元禄3年(1690年)右大臣に任じられるが、翌年辞職。元禄5年(1692年)には従一位に昇進。宝永元年(1704年)には左大臣になるもすぐに辞職した。