多治比牛養

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

2022年8月24日 (水) 21:30; 学者気取りの先頭はここで終わり! (会話 | 投稿記録) による版 (素人の説を削除)(日時は個人設定で未設定ならUTC

(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)

多治比 牛養(たじひ の うしかい、生没年不詳)は、奈良時代貴族官位従五位上備後守

経歴[編集]

天平9年(737年)藤原四兄弟没後の新体制人事において、牛養は従五位下叙爵し、翌天平10年(738年右少弁に任官する。天平12年(740年)従五位上に叙せられると、のち民部大輔に任ぜられる。天平14年(742年)の聖武天皇の紫香楽行幸では装束司及び後方の次第司を務めた[1]

天平17年(745年鎮西府を改めて大宰府が再設置されると、大弐・石川加美に次いで大伴三中とともに少弐に任ぜられる。天平19年(747年備後守に転じた。

官歴[編集]

続日本紀』による。

脚注[編集]

  1. ^ 『続日本紀』天平14年8月21日,22日条

参考文献[編集]