多喜浜塩田

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多喜浜塩田(たきはまえんでん)は、旧新居郡多喜浜村(現在の愛媛県新居浜市多喜浜)にかつて存在した塩田1716年に開田された。

歴史[編集]

享保年間に、備後国から招かれた塩業家・天野喜四郎[1]によって1723年から幾度もの拡張工事がなされ[2]、238haにおよぶ日本有数の大塩田に発展し、長年にわたりこの地方の重要な産業基盤となった。

代々天野喜四郎の子孫によって受け継がれたが[2]1959年に国策により廃田された。現在は埋め立てられて、市の内外から製造・運輸・流通などの企業が集積した、新居浜市を代表する工業団地となっている。臨海部は港湾整備がなされて新居浜東港となり、立地する企業の重要な流通拠点として、またフェリーターミナル整備によって阪神方面への旅客フェリーが就航したり、海洋レジャー施設の新居浜マリーナ(マリンパーク新居浜)の整備などで、市民にとっても重要な拠点となっている。

補足[編集]

最近では別子銅山だけでなく、多喜浜塩田も市の有意義な産業遺産として見直す気運が高まり、僅かに残されている器具等の保存整理や、資料の収集・研究に取り組む活動が、地元有志や学校等でなされている。

脚注[編集]

  1. ^ 『地名の由来 新居浜』(32頁 旧多喜浜村) (PDF) - 新居浜市教育委員会
  2. ^ a b 多喜浜塩田を開発した人について知りたい - レファレンス協同データベース