壬生益成

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壬生 益成(みぶ の ますなり、天長7年(830年) - 寛平8年12月6日897年1月12日))は、平安時代初期から前期にかけての官人左近衛将監・壬生里雄の子とする系図があるが、近世の系図であるため信憑性は低い。官位従五位下遠江介

経歴

陽成朝元慶3年(879年左近衛将曹。元慶6年(882年)息子3人・娘4人とともに、それまでの甲斐国巨摩郡から改めて山城国愛宕郡貫付される(このときの位階従六位上[1]。元慶8年(884年)左近衛将監に昇格する。

仁和2年(886年播磨権少掾、仁和4年(888年遠江介光孝朝後半から宇多朝初頭にかけて地方官を務め、この間の仁和3年(887年)には従五位下に昇叙されている。

宇多朝末の寛平8年(897年1月)12月6日卒去享年68。

官歴

注記のないものは『日本三代実録』による。

系譜

甲斐国造の支族である壬生直の後裔[3]

脚注

  1. ^ 『日本三代実録』元慶6年11月1日条
  2. ^ a b c d 『古今和歌集目録』
  3. ^ 鈴木真年『百家系図』巻26,壬生直

参考文献