史通

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Addbot (会話 | 投稿記録) による 2013年3月30日 (土) 14:37個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (ボット: 言語間リンク 3 件をウィキデータ上の d:q856025 に転記)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

史通(しつう)は、中国における歴史書であり、単なる記録にとどまらず、系統立った史学概論・史学理論を体系的に記した最初の書物である。

撰者は劉知幾で、全20巻、成立は景龍4年(710年)である。

成立

劉知幾は、史官の地位にあって、史書の編纂について知見を備えていたが、それが世に入れられないのを憤慨して、歴史書編纂の大要を記したのが本書である。その論は、後述の六家の特徴、編年体紀伝体断代史の長所短所や、歴史官の制度や沿革および、唐代までの正史などに関する批評や、歴史編纂の形式論、史料に対する取り扱いにまで及んでいる。

構成

  • 内篇 : 10巻 39篇 但し、うち体統篇・紕繆篇・弛張篇の3篇は散佚している。主として歴史家の体例について記す。
    • 六家篇 : 『尚書』『春秋』『左氏伝』『国語』『史記』『漢書』を六家とし、さらにその六家に倣った後世の歴史書を概観する。
    • 二体篇 : 編年体と紀伝体の二つの歴史叙述の方法について述べる。
    • 載言篇 : 『尚書』以降、記録は言葉として記述されるものなので、史書には「載言」の篇が必要であると述べる。
    • 序例篇・題目篇 : 歴史書の筆法について、簡潔を旨とし、勧善懲悪を体現したものでなければならない、という主張を述べながら、古今の史書を痛切に批判論評している。
  • 外篇 : 10巻 13篇 歴史書の源流、過去の歴史書に対する評論を記す。
    • 史官建置篇・古今正史篇 『史通』全体のなかでも、初めに書き始められたとされる2篇。
    • 疑古篇 : 『尚書』について、10の疑問を提起している。
    • 惑経篇 : 『春秋』に対して、12の疑問を提起している。
    • 申左篇 : 『左氏伝』の優れた点について述べる。
    • 點煩篇 : 歴史書中の煩瑣な文章の例を挙げて批判し、簡潔な表現に改めた時の表現を明記する。
    • 暗惑篇 : 歴史書中の、明らかに事実とは考えられない事例が、実しやかに史書中に記載されている事例を挙げて批判する。

特色

劉知幾の立場は、『漢書』の形式美を『史記』の歴史観よりも評価するものである。ゆえにその特色も、その体例論に見ることができる。一例として、都邑志・民族志・方物志の3志を新設すべしという論が見られる。このような議論は、当時の趨勢に適合した論である。

影響

選者劉知幾の議論は、南宋鄭樵や、章学誠らの歴史理論家に多大な影響を与えた。

参考文献

  • 増井経夫「明代史通学」(『東方学』15号、1958年)
  • 増井経夫訳 『劉知幾 史通 唐代の歴史観』(平凡社、1966年、研文出版、1981年.1985年)
    • 川勝義雄訳・解説 『史学論集 中国文明選12』(朝日新聞社、1973年.1977年)にも、訳注がある。
  • 劉知幾撰、西脇常記編訳註『史通内篇』(東海大学出版会、1989年)
  • 劉知幾撰、西脇常記編訳註『史通外篇』(東海大学出版会、2002年)
  • 上原淳道、書評「劉知幾著 増井経夫訳「史通」 唐代の歴史観」(『歴史評論』199号、1967年)
  • 鈴木孝明「劉知幾と『史通』」(『徳島大学国語国文學』10号、1997年)