内海勝二
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内海 勝二(うつみ かつじ、1887年(明治20年)1月3日[1] - 1967年(昭和42年)12月16日[1][2])は、大正から昭和期の実業家、華族。貴族院男爵議員、従三位[2]。孫の貴子は朝香誠彦の妻。
経歴
[編集]男爵・内海忠勝の二男[3]として東京都に生まれる。1912年(明治45年)に慶應義塾大学部政治科卒業[2][3]後に渡米した[3]。1905年(明治38年)2月22日、父の死去に伴い男爵を襲爵[1][4]。
1919年(大正8年)内海化学研究所を設立して所長に就任[2][3]。その他、発明協会評議員、国民工業学院評議員、慶應義塾評議員等を歴任し、東京民事地方裁判所調停委員となる[2]。
1946年(昭和21年)5月11日、貴族院男爵議員に補欠選挙で当選し[5][6]、公正会に所属し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[2]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 上巻』霞会館、1996年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』1990年。
日本の爵位 | ||
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先代 内海忠勝 |
男爵 内海(忠勝)家第2代 1905年 - 1947年 |
次代 華族制度廃止 |