備前平四郎

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備前 平四郎(びぜん へいしろう)は、平安時代末期の武士源義経郎党。名は房成。

義経が奥州に落ちていた際に、山伏の姿で従っていた従者。藤原基成衣川館で、源義経と配下である武蔵坊弁慶亀井六郎重清鈴木三郎重家片岡八郎伊勢三郎義盛駿河次郎清重、黒井次郎景次、鷲尾三郎義久喜三太と共に、防戦に参加。

藤原泰衡の家臣・長崎太郎の軍勢五百騎に囲まれ、少数精鋭というにはあまりにも少ない人数で奮闘するも、討たれて果てることになった。