衣川館
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座標: 北緯38度59分50.25秒 東経141度6分48.75秒 / 北緯38.9972917度 東経141.1135417度
衣川館(ころもがわのたち)とは、現在の岩手県西磐井郡平泉町高館にあった奥州藤原氏の居館である。源義経の最期の場所として知られる。高館義経堂(たかだちぎけいどう)、判官館(はんがんだて、ほうがんだて)とも呼ばれる。
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概要[編集]
衣川館は平泉の北上川と衣川の合流地点より約1キロほど南の丘陵にあり、元々藤原基成の館であったとされる。
『吾妻鏡』によれば、義経主従は文治5年閏4月30日(1189年6月15日)に再三にわたる源頼朝の要求に屈した藤原泰衡に襲撃され、妻(郷御前)・子と共に自害した。
館の跡には天和3年(1683年)に仙台藩藩主伊達綱村により義経堂と義経の木像が建立された。以降高館義経堂、判官館などと呼ばれるようになる。
元禄2年5月13日(1689年6月29日)には松尾芭蕉が来訪、「夏草や 兵共が 夢の跡」で知られる句を詠んでいる。
近年では奥州市衣川区七日市場の接待館遺跡が衣川館であるとする説がある。