佐藤治 (実業家)

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佐藤 治(さとう おさむ)は、愛知県出身の千代田火災元副社長実業家[1]

人物

  • 満州から引き揚げて来た。この時、戦後の学制改革があった。
  • 「6.3.3.4制」の学校体系への変更、「義務教育9年」、「小学区制」、「統合制」、「男女共学」へ全校一斉に学制改革が行われた。
  • 佐藤治が入学した時が、まさにその時であった。
  • 1948年(昭和23年)4月1日に津島中学から新制津島高校となり、10月1日津島東高(元津島高女)を統合し、愛知県立津島高等学校に切り替わったのである。
  • 新制津島高校は、通常課程(普通課程、商業課程、家庭課程)定員1650名。定時制課程(普通課程)定員200名。別科定員50名。
  • 津島高等学校に中途入学。1年半の学業の遅れを取り戻すために苦労をした。

バスケット部ではレギラーになれず、補欠であった。

  • 津島中学が1947年(昭和22年)甲子園に出場。この時、旧制中学1年から新制中学2年に進級する時であった。
  • 津島高等学校を1952年(昭和27年)卒業。名古屋大学に1952年(昭和27年)進学し卒業。
  • トヨタ自販に入社。この時、神谷正太郎に仕えた。工販合併後に千代田火災副社長。ヤマト運輸では小倉昌男の下で監査役を務めた。最後に、山縣有朋記念財団監事として日本近代史、森林問題の研究に勤しんだ。

同級生

  • 鹿野幸子は、女子美術大学彫刻科に進学しそして卒業した。彼女の作品は、流通経済大学新松戸キャンパス、埼玉県入間市東町公民館、宮城県大崎市、角田市で観られる。
  • 吉川圭祐は、防衛大学1期生である。卒業後海上自衛隊に入隊した。最後は海将・大湊地方総監で退役した。
  • 津金澤督雄は、鹿児島大学医学部教授。手先が器用で法医学分野に進み、「国手」と言われた。鹿児島の芋焼酎を愛する大変な酒豪である。
  • 黒川孝雄は、名古屋大学経済学部を卒業して、明治乳業に入社。最後明治サンテオレの社長を務めた。
  • 家田美智雄は、明治大学に進学、卒業して地元スーパー(現ユニー)に就職。社長そして会長を歴任した。
  • 山中龍夫は、東京大学工学部航空科を卒業。航空宇宙技術研究所に入り宇宙工学を専攻、科学技術庁の科学研究官として日本の宇宙開発をリード、宇宙開発委員会・宇宙環境利用部会長を務めた。NASAはじめ海外人脈も多彩で、退官後は横浜国大教授を務め、現在は竜巻の研究に余念がない。

[2]

脚注

  1. ^ 文芸春秋「同級生交歓」(平成9年7月号)”. 2016年1月22日閲覧。
  2. ^ 心の友となった詩の仲間”. 2016年1月22日閲覧。

参考資料

  • 愛知県立津島高等学校Wikipedia「沿革」1.愛知県第三中学と2.愛知県津島高等女学校を参照。

外部リンク