中川潤治

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中川 潤治

中川 潤治(なかがわ じゅんじ、1898年明治31年〉3月12日[1][2] - 没年不明[2])は、昭和時代前期の政治家新潟県高田市長。

経歴

1923年大正12年)3月、東京帝国大学農学部を卒業し、同年12月に帝国農会に出仕する[1]1931年(昭和6年)11月、同会を辞職[1]。その間、1927年(昭和2年)2月に陸軍歩兵少尉に任官し、1931年(昭和6年)後備役に編入した[1]

1935年(昭和10年)12月に高田市会議員に当選し、翌年の1936年(昭和11年)11月、再選と同時に同市助役に就任[1]。ついで1938年(昭和13年)10月、高田市長に就任した[1]1942年(昭和17年)に再選[3]1945年(昭和20年)3月、召集された[3]

戦後、公職追放となり[4]、追放解除後の1952年(昭和27年)10月、教育委員選挙に立候補して当選し、委員長に就任[4]。任期途中の1955年(昭和30年)4月、新潟県議会議員選挙に立候補して、当選した[4]

脚注

参考文献

  • 帝国自治協会 著『全国市長銘鑑 : 自治制実施五十周年記念』帝国自治協会、1938年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1458365 
  • 高田市史編集委員会 編『高田市史 : 第2巻』高田市史編集委員会、1958年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3002421 
  • 日外アソシエーツ 編集『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年。ISBN 4816929304