一町田信清

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。イルーゾォ (会話 | 投稿記録) による 2016年1月10日 (日) 15:20個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

 
一町田信清
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 不明
死没 天正2年8月13日1574年8月29日
別名 靱負
主君 津軽為信
氏族 津軽氏一町田氏
父母 父:一町田信建
森清
テンプレートを表示

一町田 信清(いっちょうだ のぶきよ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将津軽氏の家臣。一町田氏2代当主。

一町田氏は津軽氏の庶流。

信清は陸奥国中津軽郡一町田村(後に独狐村)に屋敷を構えた。津軽為信に仕えて、元亀2年(1571年)5月5日の石川城攻めなどに加わった。天正2年(1574年)8月13日の大光寺城攻めにおいて、津軽氏は城代滝本重行の奮戦で撤退を余儀なくされ、信清も討ち死にした。

参考文献

  • 「青森県人名大事典」1969年、東奥日報社