コンテンツにスキップ

1968年メキシコシティーオリンピックの体操競技

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Luckas-bot (会話 | 投稿記録) による 2012年4月17日 (火) 12:50個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (r2.7.1) (ロボットによる 追加: sl:Gimnastika na Poletnih olimpijskih igrah 1968)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

メキシコシティオリンピックにおける体操競技は、1968年10月21日 - 26日に行われた。

概要

男子

団体総合は、日本が五輪3連覇を達成。世界選手権も含めると5連勝となった。

個人総合は、首位を独走していたミハイル・ボロニン(ソ連)が最終種目のあん馬でミスをし9.50。0.35点差で追う加藤沢男は最終種目の徒手(床運動)で9.90を獲得し、劇的な逆転優勝を果たした。3-5位にも日本勢が食い込んだ。

種目別では、中山彰規が6種目中3種目で優勝、さらに徒手では日本勢が表彰台を独占した。メキシコ五輪で日本勢が獲得した金メダルの半分以上が体操競技によるもので、「体操日本」の最盛期に突入した。

女子

同年8月、チェコ・スロバキアの民主化運動(プラハの春)がソ連により武力弾圧される事件(チェコ事件)が発生していた。同国のベラ・チャスラフスカは民主化運動を支持していたため、弾圧を逃れるべく潜伏を余儀なくされ、練習環境も不十分な中、開会式の5日前にメキシコに到着した。チェコ・スロバキア勢は共産主義を象徴する赤ではなく、濃紺のレオタードで競技に臨んだ。

団体総合は、ソ連が優勝し。2位のチェコ・スロバキアとは0.65点差だった。団体4位だった日本勢は、個人総合もふるわず、種目別も決勝進出できなかった。

個人総合では、チャスラフスカは圧倒的な強さを見せ、1.4点差もの大差で二連覇を達成。種目別もチャスラフスカの独擅場で、4種目中3種目で優勝。

唯一、平均台でナタリア・クチンスカヤ(ソ連)が優勝し、チャスラフスカの個人全種目優勝を阻止した。クチンスカヤは可憐な容姿と優美な演技でチャスラフスカと人気を二分し[1]、「メキシコの花嫁」「メキシコの恋人」等と讃えられた。

なお、チャスラフスカが大会期間中に同郷の陸上選手J・オドロジルとメキシコで挙式したことも大きな話題となり、世界中から祝福された。

男子

団体総合

個人総合

種目別

ゆか

あん馬

つり輪

跳馬

平行棒

鉄棒

女子

団体総合

個人総合

種目別

ゆか

跳馬

平均台

段違い平行棒

各国メダル数

国・地域
1 日本 日本 6 2 4 12
2 ソビエト連邦 ソビエト連邦 5 5 8 18
3 チェコスロバキア チェコスロバキア 4 2 0 6
4 ユーゴスラビア ユーゴスラビア 1 0 0 1
5 東ドイツ 東ドイツ 0 2 2 4
6 フィンランド フィンランド 0 1 0 1
Total 16 12 14 42

脚注

  1. ^ 1968年10月22日読売新聞「花園に散る火花」