ホフレ・ボルジア
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ホフレ・ボルジア(イタリア語:Gioffre Borgia, 1482年 - 1522年)は、イタリアルネサンス期の軍人・政治家。カタルーニャ語ではJofré Borjaとなる。
スクイッラーチェの領主。父はローマ教皇アレクサンデル6世、母はヴァノッツァ・カタネイ。同父母の兄弟にチェーザレ、ホアン及びルクレツィアがいる。また、異母(または異父)兄弟としてペドロ・ルイス(Pedro Luis)、イザベッラ(Isabella)、ジローラモ(Girolamo)が知られる。ジュリア・ファルネーゼとアレクサンデル6世の娘ともされるラウラ(Laura)とも血の繋がりを有している可能性もある。
ホフレはナポリ王国の国王アルフォンソ2世の娘であったサンチャ(Sancia)と結婚したものの、サンチャはチェーザレやホアンと肉体関係があったとされる。チェーザレが「ロマーニャ公爵」として活躍していた時期に軍を率いていたものの、特段の大きな成果は残していない。チェーザレらが死去してボルジア家が没落した後もひっそりと生き、1522年に死去した。
1506年のサンチャの死後、マリア・デ・ミラと言う女性と再婚、4人の子を儲けた。長男フランシスコの子孫がスクイッラーチェ侯家として続いた。