ヘルゴラン (海防戦艦)

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「ヘルゴラン」(1885年、コペンハーゲン[1]
「ヘルゴラン」の図面

ヘルゴラン (Helgoland) はデンマーク海軍海防戦艦。正式な類別は浮砲台 (flydende batteri)[2]。後に装甲砲台 (pandserbatteri)、次いで装甲艦 (pandserskib, panserskib) とされた[2]アブサロン級多目的支援艦の登場まで、デンマーク海軍艦艇としては最大であった[3]

1876年5月20日、コペンハーゲン海軍工廠で起工[3]。1878年5月9日に進水[3]。この日はヘルゴラント海戦でデンマーク海軍が勝利した日であった[3]。1879年8月20日就役[3]。建造費は4971000クローネ[3]

排水量5394トン、全長79.17メートル、最大幅18.05メートル[3]吃水は艦首5.61メートル、艦尾5.9メートルであった[3]。艦中央部にケイスメイトがあり、その前後には艦首と艦尾まで甲板室があった[4]。これによって見かけ上の乾舷が高くなり、航洋性が良くなっていた[5]

ケイスメイトの前部は露砲塔が繋がり、そこに主砲のクルップ22口径12インチ720ctr後装砲1門が搭載された[3]。主砲の射程は6400メートルで、後に7400メートルに伸びた[4]。ケイスメイト内には、4隅にクルップ22口径10インチ440ctr後装砲が1門ずつ搭載された[1]。この砲の射程は5500メートル、後に6550メートル[1]。他にはクルップ24口径5インチ28ctr後装砲をケイスメイト天蓋上に2門、艦尾部に3門搭載した[6]。この内、最後尾の1門は1886年に撤去された[7]。また、艦首に38㎝水中魚雷発射管2門を装備したほか、1888年までは曳航水雷を装備していた[8]。後日、ホチキス5砲身回転機砲6門、ホチキス44口径57㎜速射砲2門、マキシム37㎜機砲3門が搭載されている[7]。その内、ファイティングトップ装備の回転機砲2門は後にノルデンフェルト0.45インチ5銃身機銃、次いでマキシム8㎜機銃に換装された[7]

機関はブアマイスタ&ウェーイン社製水平還動タンデム2段膨張式蒸気機関2基、円缶8基で、出力4000指示馬力[9]。2軸推進で、速力13.7ノット[9]。石炭搭載量は224トンで、航続距離は9ノットで1400浬であった[9]

装甲鈑は錬鉄製であった[6]。厚さは水線装甲帯が152㎜から305㎜、ケイスメイト側面および砲塔バーベットの前部側面は254㎜でケイスメイト内のバーベットは152㎜、ケイスメイト上面は39㎜で甲板はケイスメイト外が52㎜、ケイスメイト内が19㎜、司令塔は33㎜であった[10]。司令塔の装甲は1884年に105㎜の鋼板となった[7]。主砲には厚さ6㎜の鋼鉄製の円筒形砲室フードが付けられた[1]。これは1891年に厚さ40㎜で厚鋼板製のドーム型のものにかえられた[7]

1897年6月、イギリスのヴィクトリア女王在位60周年記念観艦式に参加[7]。同年9月、スウェーデンのオスカル2世王在位25周年記念式典に参列[7]。1907年6月29日に除籍[7]。オランダのフランク・レイスデイク社に売却され、解体された[7]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 『海防戦艦』41ページ
  2. ^ a b 『海防戦艦』27ページ
  3. ^ a b c d e f g h i 『海防戦艦』40ページ
  4. ^ a b 『海防戦艦』40-41ページ
  5. ^ 『海防戦艦』41、43ページ
  6. ^ a b 『海防戦艦』43ページ
  7. ^ a b c d e f g h i 『海防戦艦』45ページ
  8. ^ 『海防戦艦』43、45ページ
  9. ^ a b c 『海防戦艦』44ページ
  10. ^ 『海防戦艦』44-45ページ

参考文献[編集]

  • 橋本若路『海防戦艦 設計・建造・運用 1872~1938』イカロス出版、2022年、ISBN 978-4-8022-1172-7

関連項目[編集]