ブーパーレーンドラ・マッラ

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ブーパーレーンドラ・マッラ(Bhupalendra Malla, 1679年 - 1700年)は、ネパールカトマンズ・マッラ朝の君主(在位:1687年 - 1700年)。

生涯[編集]

1687年、父パールティヴェーンドラ・マッラが宰相ラクシュミーナラーラーヤナ・ジョーシーに暗殺されると、即位した。

1690年、強力な宰相ラクシュミナーラーヤナが殺害されると、カトマンズの強勢に陰りが見えてきた。その後、王母リッディラクシュミーが実権を握った。

1696年、バクタプルがパタンと組み、カトマンズを攻撃した。その後、ブーパーレーンドラは王母と不仲になり、1697年に王母を捕えて追放、投獄した。

1700年、ブーパーレーンドラは聖地巡礼の途中に死亡し、4歳の息子バースカラ・マッラが即位した。

参考文献[編集]

  • 佐伯和彦『ネパール全史』明石書店、2003年。 

関連項目[編集]