フレッド・ハーヴィ・カンパニー

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フレッド・ハーヴィ・カンパニー(Fred Harvey Vompany)は、カンザス・パシフィック鉄道のウァレス駅(カンザス州)とヒューゴ駅(オクラホマ州)に1875年にオープンしたレストランに起因する。このカフェはフレッド・ハーヴィにより運営されたが1年後には別の経営者に引き継がれた。ハーヴィは、この事業により、ハイ・クオリティの食事を駅で提供するという新しいビジネスに目を付けるが、彼の雇い主だったシカゴ・バーリントン・アンド・クインシー鉄道は彼の意見を聞き入れなかった。、しかしアッチソン・トピカ・アンド・サンタフェ鉄道がこのビジネスに興味を持ち、駅に付随する形でレストランをオープンしていく。そしてその後これがレストラン・チェーンの原型となっていく。ハーヴィは、食堂車も考えだし、鉄道社内で食事を提供し成功した。

ハーヴィ・ガールズ 1883年、ハーヴィは容姿の美しい若い女性を雇用し、質の高いサービスを提供するという新しいビジネスを開始した。これにより駅に付随するハーヴィのレストランは大人気となり、高所得の東海岸に住む人々が大陸横断鉄道で中西部を旅するという流行を作った。その後、ハーヴィの運営するレストランは、ハーヴィ・ハウスと呼ばれ、そこで働く女性はハーヴィ・ガールズと呼ばれるようになった。1946年、MGMは、ジュディ・ガーランド主演で「ハーヴェイ・ガールズ」という映画を製作し映画はヒットした。

有名なハーヴィ・ハウス