デビスカップ1904

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。キュアサマー (会話 | 投稿記録) による 2022年7月11日 (月) 22:44個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (曖昧さ回避ページウィンブルドンへのリンクを解消、リンク先をウィンブルドン (ロンドン)に変更(DisamAssist使用))であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

1904年デビスカップ(当時の名称:International Lawn Tennis Challenge, 国際ローンテニス・チャレンジ)に関する記事。

大会の流れ

1904年のデビスカップにはアメリカが出場しなかったが、ベルギーフランスオーストリアの3か国が初出場した。

3か国の参加により、この年から大会形態の拡大が始まる。前年度優勝国のイギリス諸島は、無条件で「ワールドグループ・チャレンジラウンド」決勝に進出し、他の国々は各地でワールドグループの予選を戦った。会場はイギリスウィンブルドンの「ワープル・ロード」において、6月27日-29日にワールドグループ決勝(イギリス諸島への挑戦国を決める)、7月2日-5日に挑戦国とイギリス諸島との決勝戦を実施した。

第1回大会の1900年から1939年までは、大会の正式名称は「インターナショナル・ローンテニス・チャレンジ」(International Lawn Tennis Challenge)であった。日本語版ウィキペディア記事では、すべてのイベントを「デビスカップxxxx」として記載する。

予選

  • ワールドグループ1回戦(5月1日):ベルギーの旗 ベルギー vs. オーストリア オーストリアの旗 イベント実施なし (注:同じく初参加国のフランスが、対戦相手なしの“Bye”でワールドグループ決勝へ)
  • ワールドグループ決勝(6月27-29日):ベルギーの旗 ベルギー vs. フランス フランスの旗 3勝2敗 (ベルギーがイギリス諸島への挑戦権を獲得)

決勝

(イギリス代表選手は3名、ベルギーは2名を起用した。)

参考資料

  • 公式サイト 参考資料はすべて公式サイトから引き出せるが、様々な種類の資料を見いだせることから、各記事中にも直接関連するリンクを掲載する。
  • 大会データ:[1][2][3]
  • イギリス諸島 (1900年-1912年まで)