ジャーヴァス・ピアポント (初代ピアポント男爵)

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初代ピアポント男爵ジャーヴァス・ピアポント英語: Gervase Pierrepont, 1st Baron Pierrepont1649年1715年5月22日)は、イギリスの政治家、地主。

生涯[編集]

ウィリアム・ピアポント英語版初代キングストン=アポン=ハル伯爵ロバート・ピアポント英語版の次男)とエリザベス・ハリーズ(初代準男爵トマス・ハリーズ英語版の娘)の五男として、1649年に生まれた[1]

1679年10月イングランド総選挙英語版ノッティンガムシャー選挙区英語版から出馬して敗れた後、一旦政治から離れたが、1698年イングランド総選挙英語版で今度はアップルビー選挙区英語版から出馬して当選を果たした[2]。議会ではトーリー党員としてふるまい、以降数度再選を果たした後、1705年イングランド総選挙英語版で立候補せず庶民院から引退した[2]。1703年3月21日にアイルランド貴族であるアルドグラスのピアポント男爵に叙され、1714年10月19日にグレートブリテン貴族であるハンスリップのピアポント男爵に叙された[2]

1715年5月22日に死去、継承者となる息子を儲けなかったためすべての爵位が断絶した[1]。遺産は一部が教会に寄贈されたほか、大半がピアポント家本家が継承した[2]

家族[編集]

1680年3月10日、第3代準男爵ジョン・ペラム英語版の娘ルーシー(1721年7月8日没)と結婚[1]、1女をもうけた[2]

脚注[編集]

  1. ^ a b c Cokayne, George Edward, ed. (1895). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (N to R) (英語). Vol. 6 (1st ed.). London: George Bell & Sons. p. 251.
  2. ^ a b c d e Handley, Stuart (2002). "PIERREPONT, Gervase (1649-1715), of Tonge Castle, Salop; Croston, Staffs.; and Hanslip Park, Bucks". In Hayton, David; Cruickshanks, Eveline; Handley, Stuart (eds.). The House of Commons 1690-1715 (英語). The History of Parliament Trust.
イングランド議会 (en
先代
サー・クリストファー・マスグレイヴ準男爵英語版
サー・ジョン・ウォルター準男爵英語版
庶民院議員(アップルビー選挙区英語版選出)
1698年 – 1705年
同職:サー・ジョン・ウォルター準男爵英語版 1698年 – 1701年
ウォートン・ダンチ 1701年 – 1702年
ジェームズ・グラーム英語版 1702年 – 1705年
次代
ジェームズ・グラーム英語版
ウィリアム・ハーヴィー
アイルランドの爵位
新設 ピアポント男爵
1702年 – 1715年
断絶
グレートブリテンの爵位
新設 ピアポント男爵
1714年 – 1715年
断絶