オンニ・コッコ

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オンニ・ヴァルデマール・コッコ
Onni Valdemar Kokko
13歳の頃のコッコ。日本製の三八式騎銃を手にしている。
生誕 1904年3月4日
フィンランド大公国の旗 フィンランド大公国 ヘルシンキ
死没 (1918-04-22) 1918年4月22日(14歳没)
フィンランド王国の旗 フィンランド王国 ヴァーサ
所属組織 フィンランド白衛軍英語版
墓所 ヴァーサ英雄墓地
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オンニ・ヴァルデマール・コッコ(Onni Valdemar Kokko、1904年3月4日 - 1918年4月22日[1]は、フィンランド少年兵フィンランド内戦の折、白衛軍英語版の一員として戦ったが、わずか14歳で戦死した。

開戦後まもなくして、コッコはリミンカ義勇軍の一員としてポフヤンマーに派遣される。その後、リミンカ義勇軍はオウルの戦いフィンランド語版に参加した。一時は赤衛軍英語版捕虜となったが、脱走に成功している。その勇敢さから、コッコはまもなくしてオスカル・ペルトカンガスフィンランド語版中尉の副官に選ばれている。その後、ペルトカンガスとコッコは共にトルニオビルップラフィンランド語版、ルオベシなどの激戦に参加した[2]

1918年3月25日タンペレの戦いフィンランド語版の折、コッコは赤衛軍の兵士に狙撃され重傷を負った。すぐにヴァーサに設置されていた白衛軍の野戦病院に運び込まれたが、4月22日に負傷が元で死亡した。彼の遺体はヴァーサの英雄墓地に埋葬された[1]。なお戦死の直前、白衛軍総司令官カール・グスタフ・エミール・マンネルヘイム将軍はコッコに対する四級自由十字章(IV luokan vapaudenristin)の授与を決定していた。現在まで、コッコは史上最年少の自由十字章受章者である[2]

その後、オンニ・コッコの名は白衛軍における一種の伝説として語り継がれた。彼の写真で特に知られているのは、小銃を手に直立の姿勢をとっている写真と、死の直前に野戦病院のベッドで撮影された写真の2つである。ヴァーサのパロサーリフィンランド語版には彼の名に因むオンニ・コッコ通り(Onni Kokon tie)がある.[2]。1920年、スウェーデン系フィンランド人の作家ヤール・ヘメルフィンランド語版は、コッコを題材にした小説『Onni Kokko』を発表した。翌年にはラウリ・イコセン(Lauri Ikosen)によるフィンランド語翻訳版が『Onni Kalpa』として出版された。

脚注

  1. ^ a b Haku:Onni Kokko Suomen sotasurmat 1914–1922. 2004. Valtioneuvoston kanslia / Arkistolaitos.
  2. ^ a b c Keränen, Pekka: Tuulimaa. Limingan kotiseutukirja, s. 148-149. Jyväskylä: Gummerus Oy, 2003.

外部リンク