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ゆびきり

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ゆびきりの例

ゆびきり指切指切り)は、近世以降の日本において、約束の厳守を誓うために行われる、大衆風習ゆびきりげんまん指切拳万)の略語

フック状に曲げた小指を互いに引っ掛け合う。その際、指を絡め合った状態で上下に振るのが通常であり、また、「指切拳万、ついたら千本呑ます」という、約束を違えたときに課される名目上のを内容とするまじないの言葉を共に唱えて意思を確認し合うことが多い。「拳万」は「握り拳(にぎりこぶし)で1万回殴る」、「針千本呑ます」は「裁縫針を1000本呑ませる」という意味である。

起源

男女が愛情の不変を誓い合う旨を証拠立てることを「心中立(しんじゅうだて、心中立て)」と言うが、指切は、遊女が客に対する心中立てとして、小指の第一関節からを切って渡したことに由来している。これにはかなりの激痛が伴うため、それほど愛してるということを意味し、貰う客も、遊女の思いに応えるくらいの気構えが必要であった。しかし、実際に切る遊女は少なく、贋物(模造品)の指が出回ったらしい。そして、この「指切」が一般にも広まり、約束を必ず守る意思を表す風習へと変化した。

展開

同風習が、博徒集団でも広がり、親分に対する忠誠の誓いに利用されるようになった(指詰めも参照)。もっとも、博徒集団においては組織内で和を乱した場合に、親分に対する謝罪の意思として指を切断することでけじめをつけることとされる。今日のヤクザのエンコ詰めは、この指切りの風習に由来するものである。

中世社会における指切

日本の社会において、指を切ることによって責任をとらせるといった行為自体は、中世初期における武家が最初であり、『吾妻鏡』の12世紀末の記述として、戦時中、御方討(味方討ち・同士討ち)をしてしまった者は、「指切の刑」に処されたことが記述されている(記述によれば、鮫島氏が右手指を切っている)。そういった意味では、指詰めの発想自体は近世以前から存在する。

室町幕府が永正9年(1512年)8月に定めた『撰銭令』の条例(令自体は永正2年に発布)には、違反した者は、「男は頸(くび)をきり、女は指をきらるべし」との肉体刑を記しており、女性の指切りを刑としている。これは違法に対する刑罰(責任)ではあるが、責任を取る形の一つとして、女性の指切りが社会的に認知される下地が中世からあったことがわかる。

関連項目