Wikipedia:良質な記事/良質な記事の再選考/ナザレのイエス 20100224

ナザレのイエス - ノート[編集]

選考終了日時:2011年3月26日 (土) 09:24 (UTC)

  • (除去)まず、前半には出典が各文章が結び付けられていません。また後半についても、脚注欄を見ると、八木誠一荒井献の文献のみに殆ど頼っています。「参考文献」節の文献量の豊富さと一致していません。良質な記事というからには、出典が脚注形式でしっかりと備えられ、また曖昧な言い方も排除されたものであるべきです。
    • Wikipedia:良質な記事/良質な記事の再選考/ナザレのイエス 7月18日(日) 15:00を一度提起したのですが、「ノート:ナザレのイエスでは内容面の不備(中立的観点)を指摘しているのに、こちらでは形式面の不備を指摘するのはなぜ?」と、言わば悪意を疑われ、話があらぬ方向にそれてしまいました(善意にとるに反しているともとれる御発言については、発言者のikedatさんから謝罪を頂戴しています)。今一度議論を提起し直します。
    • 今一度、右2010年7月19日 (月) 06:54 (UTC)の書き込みをここに再掲します。「内容面と形式面という事について言えば、後者の方が「良質な記事」かどうかを判断するには緊急性が高いと判断しました。形式面を強調したのはそれ以上の意味はありません。」
    • ただし、統合がされていますので、前回の再選考とは状況が少し変わっています。従いましてその指摘の具体的内容は、前回と当然変わります。
    • 前回「記事の発展の方向性」といった論点も出されたのですが、あくまで「良質な記事かどうか」は「現状がどうなのか」の判断に拠るべきであって、「将来成長し得る重要な未完成・不備のある記事」といった概念は、「良質な記事」には含まれ得ない筈です。--Kinno Angel 2011年2月24日 (木) 09:24 (UTC)[返信]
  • (除去)田川建三氏と荒井献氏は互いをライバル視?しており、著書の中で互いを批判しています。批評的聖書学者といってもその理論は一つではなく、対立することもあり、脚注付きでしっかりとどの著者のどの理論に対応するかが、明らかになるべきです。--イザヤ 2011年2月26日 (土) 04:18 (UTC)[返信]

除去2票で再選考期間終了、継続となりました。--Ratta 2011年4月14日 (木) 07:48 (UTC)[返信]