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著作権など知的財産権の尊重について[編集]

「"知的財産権"? なんのこっちゃ? 」と思う人もいるかも知れません。辞典によると、著作物に関する権利(著作権ほか)や工業所有権(商標権、特許権ほか)などの権利をひっくるめて、"知的財産権"または"知的所有権"と呼びます。ここでは用語として"知的財産権"にそろえます。

文章や写真などの著作物や、ロゴマークなどの商標を二次利用する際には、知的財産権を尊重することが、ウィキペディアにおいても求められます。

この議論の最初の論点として、著作物(の全部または部分)の複製と「引用」の問題を提起します。「Wikipedia:ガイドブック 著作権に注意」(この版)をご覧ください。

このガイドブックの「引用の問題」のセクションで説明されているように、著作権法のもとで引用として認められるためにはいくつか要件があります。と言っても、日本の著作権法(リンク)の条項には、引用の要件の詳細な規定が無いので、「どこから出てきたんだ」と疑う人もいるかもしれません。こうした要件が実際に適用された判決の例を、あとで紹介します。

著作物から都合が良い部分を切り取ったものを、ウィキペディアで列挙した場合に、これを適正な引用だとするウィキペディア参加者が、少なからずおられるようです。では、たとえば、ある政治家(ナントカ国政府首脳であるカントカ氏)を評した本があったとします。著作者(ヒョーロン氏)は、カントカ氏の政治家としての言動、活動等につき、肯定、否定、中立さまざまな立場から評しています。ところで、ウィキペディア編集者が、この本でカントカ氏の失言や失態が批判されている部分を10箇所、切り取って、ウィキペディアで列挙し、「ヒョーロンは政治家カントカに批判的である」と主張するとします。このような複製は、適正な引用だと言えるでしょうか。

この問いに対する私の答えは「適正な引用ではない」です。「ヒョーロンは政治家カントカに批判的である」とする主張に好都合な部分だけを切り取って列挙すると、ヒョーロン氏がこの本を通じて言おうとした趣旨とは別の内容を、ヒョーロン氏の著作と称して掲載することになります。著作権法第二十条に規定される同一性保持権(著作者人格権の一つ)を侵害しています。しかも、「ヒョーロンが政治家カントカを批判している」例を挙げるのに、10箇所も複製を並べる必要はないはずです。結局、第三十二条が認める引用に当たらなくなり、第二十条に規定される複製権(著作権の一つ)を侵害することになります。

前述したように、このような複製が適正な引用だとする意見があることは知っていますが、その中身は、著作者人格権に言及していなかったり、理由を示さずただ単に適正だと述べていたりで、知的財産権の尊重についてウィキペディア参加者間で認識がうまく共有されていないことがうかがえます。

ウィキペディアは百科事典を標榜<ひょうぼう>しています。法を遵守し知的財産権を尊重する姿勢は、百科事典プロジェクトとしての信頼にもつながることが期待されます。この議論が認識を共有するきっかけになれば、と思います。

著作権法より関連条項を抜粋します。

「(権利の目的とならない著作物)
第十三条  次の各号のいずれかに該当する著作物は、この章の規定による権利の目的となることができない。
一  憲法その他の法令」(第二号以下略)
「(同一性保持権)
第二十条  著作者は、その著作物及びその題号の同一性を保持する権利を有し、その意に反してこれらの変更、切除その他の改変を受けないものとする。
2  前項の規定は、次の各号のいずれかに該当する改変については、適用しない。」(第一号から第三号まで略)
「四  前三号に掲げるもののほか、著作物の性質並びにその利用の目的及び態様に照らしやむを得ないと認められる改変 」
「(複製権)
第二十一条  著作者は、その著作物を複製する権利を専有する。」

引用にあたるかどうかが判示された判例。

東京地方裁判所の平成16年03月11日の判決 (平成15年(ワ)第15526号) (全文 PDFファイルへのリンク: p.5 以降に裁判所の判断)
最高裁判所の昭和55年03月28日の判決 (昭和51年(オ)第923号=旧著作権法の例)(概要へのリンク)

--Dumpty-Humpty 2009年4月11日 (土) 11:10 (UTC)[返信]

>ところで、ウィキペディア編集者が、この本でカントカ氏の失言や失態が批判されている部分を10箇所、切り取って、ウィキペディアで列挙し、「ヒョーロンは政治家カントカに批判的である」と主張するとします。
この例でいえば、「主張」した時点で「独自研究」になりますから、引用以前の問題だと考えられます。 --ねこぱんだ 2009年4月11日 (土) 13:01 (UTC)[返信]
記事項目の記述なら確かに「独自研究」になる可能性はありますね(鋭いご指摘…)。たとえばノートページやプロジェクトページ(いずれも「Wikipedia:独自研究は載せない」の適用外)だとして、どうでしょう? 記事項目においても、著作者「ヒョーロン」の項目で、「ヒョーロンは政治家カントカに批判的である」の情報源としてこの本を明記してあると、「Wikipedia:検証可能性」を満たすように見えてしまい、「独自研究」である可能性や知的財産権を侵害している可能性が見落とされるリスクがあります。--Dumpty-Humpty 2009年4月11日 (土) 14:34 (UTC)[返信]
Dumpty-Humpty氏が気にしておられるのは、引用の正当それ自体より、引用が独自研究の根拠とされることの方と思います。もし引用の正当それ自体の主張がメインということでしたら、私案段階のWikipedia:引用のガイドライン/草案があるのでそちらに参加されたら良いでしょう。
ノートページやプロジェクトページについて、どのような疑問点があるのかが読み取れませんが、例えば編集者が主張として載せる行為自体は防げないと考えますがそれを独自研究であり記事掲載にあたらないとすればよいでしょう。また、抜書きした結果が評論家自身の記事にあった場合でも、独自研究に変わりはないのですから、その著作物を確認した人が除去をすればよいと思います。--春日椿 2009年4月11日 (土) 15:13 (UTC)[返信]

ウィキペディア編集者が、著者Aによるある書籍で人物Bの失言や失態が批判されている部分を10箇所、いわゆる引用の用件を満たした上で、元の書籍にある表現を切り取って、ウィキペディアで列挙し「以上のように人物Aは人物Bを批判する。」と書くならば、このような複製は、適正な引用です。

もし、その引用箇所が、ウィキペディアの記述の目的のために元の書籍とは異なる形で部分的に抽出しているということがわからない形になっていたり、元の文章と異なる表現に改変し、その改変がなされているということが示されていないようであれば、20条が及ぶでしょう。これは、引用の要件を満たしていないということになります。

あるいは、その10箇所について表現を引用しているのではなく、その内容を取り出しているということであれば、要約による引用については諸説ありますが、著者Aによる批判のうち、事実とされている失言などを抜き出すということなら、著作権法が保護するのは表現ですから、著者の権利は及ばないと思われます。

「10箇所も複製を並べる必要」については、元の書籍や記事での記述にも拠りますが、10という数字のみでは、その必要性の有無を判断することはできませんし、一般的に明らかに多すぎると断じることができる数ではないと考えます。その10箇所について、それぞれ1段落丸ごと2000字ずつ引用しているとかなら話は別ですけれど。

引用の適法性を問う際に「必要性」や「最小限度」を求める意見もありますが、たとえば脱ゴーマニズム宣言事件(東京地裁平成11年8月31日)では、「一般に著作物の引用は、右1で示した引用の要件(明瞭区分性、主従関係)を充たす限りにおいて、引用著作物の著者が必要と考える範囲で行うことができるものであり、前記1の要件に加えて引用が必要最小限度のものであることまで要求されるものではない。」とされ、レオナールフジタ事件控訴審(東京高裁昭和60年10月17日)では「著作者が著作に当たり、他の著作物の引用を必要とするかどうか、あるいは引用に必然性があるかどうかは、著作物が著作者の自由な精神的活動の所産であることからすれば、多分に著作者の主観を考慮してせざるをえないことになり、これを判断基準として採用することは客観性に欠ける結論に到達する虞れがあり、相当とはいえない」「「最小必要限度の利用であること」は、その限度を著しく越える場合には、引用著作物の主体性、被引用著作物の付従性を失わせる場合があるという意味で、前述した主従関係の判断において考慮すれば足りることであつて、これをもつて別個の要件とすべき理由はない。」と判じています。

もっとも、列挙しているのが失言や失策などであれば、敢えて引用して元の表現を利用すべき状況は、よほど表現に凝ったものか、批判の対象が複雑に限定されているようなことでなければ、それほどないと思いますから、ウィキペディアでは避けたほうがよいとも思います。ただし、上記引用の要件論としての判断基準とは異なると考えるべきでしょう。

独自研究との関連で言えば、その10の批判が、書籍の中では人物Bへの批判として用いられていないかどうか、の判断になるでしょう。著者Aの書籍の中で「人物Bについては、某所での失言を批判する声もあるが、そうではなく云々」と書かれているものを、「某所での失言」と引用して著者Aが批判的であるとウィキペディアで記述するなら、それは誤りですし、著者Aの書籍が、ある一連の出来事を叙述する年代史のようなもので、そのなかで「人物Bの失言がマスコミなどで話題になった」と書かれているものからの引用であれば、独自研究となるでしょうし、他方、この書籍が人物Bに対して一貫して批判的であるなら、独自研究とはいえないでしょう。ただし、この書籍の主題が人物Bへの批判であることが投稿や投稿者との対話から明らかではない場合、または著者、人物Bの双方が、存命であるなら、この本が「批判」あるいは「批判的」であるということについて出典を求めてもよいかもしれません。その書籍の記述を用いて批判的な記述をすることや、著者Aが人物Bに対して批判的であると記述することが、百科事典に書くだけの信頼性や特筆性を持っていて、記述が妥当であるということならば、宣伝・紹介用の文言や、書評などから「批判的である」ということが、その部分を書いたウィキペディアの編集者の主張ではなく、検証可能なものだということを示す事ができるはずです。--Ks aka 98 2009年4月12日 (日) 20:11 (UTC)[返信]

へのいちと申します。他の方も仰っていますが、この問題は知的財産権の問題ではなくて、ないでしょう。私には、名誉毀損の問題のように思われます。どなたかの発言(出版物なども含みます)の一部を恣意的につなぎ合わせて、こういう意見を持っているなどと、ご本人の考えを歪曲して喧伝するわけですから。ウィキペディアでの議論を見ていると、著作権について強調されていることが多いような印象を私は持っていますが、侵すべからざる市民の権利は著作権ばかりではありませんよね。このような問題に対して、著作権法の観点から引用として適正かどうかなどというのは、およそ見当違いの議論のように思います。--へのいち 2009年4月14日 (火) 17:07 (UTC)(一部訂正 2009年4月15日 (水) 10:15 (UTC))[返信]

ええと、名誉毀損やプライバシーなどについても考慮すべきであるということについては同意します。著作権法上の引用の問題、著作者人格権の問題、名誉毀損の問題、剽窃など倫理的な問題、独自研究などウィキペディアの方針としての問題というのは、それぞれに重なる部分や、影響を与えている部分もありますが、それぞれをきちんと切り分けて理解することが望まれると思うのですね。Dumpty-Humptyさんの問いかけでは、想定されている事例がはっきりしないので、はかりかねるところもあるのですが、様々な問題が混在したまま議論を提起されているような印象を受けています。
もちろん、当人の社会的信頼を低下させた場合であれば、名誉毀損となりえます。適法に引用されていたとしても、その前後にある記述が適切でなければ、名誉毀損となることはありますが、文章として名誉毀損だからといって、引用が違法と扱われるわけではありません。また、適法に引用したからといって、免責されるわけでもないです。ただし、不正確に引用したため、趣旨及び内容を正確に理解せず記事にした不注意により図書に対する社会的評価を低下させるものとして名誉毀損となった事例もあるようです。
ただ、ある書籍について、引用者の解釈が著者の意図と異なるとしても解釈として成立したり、論評あるいは意見表明として受け取るべき「主張」として書かれていた場合は、名誉毀損とはならないこともありえます。上で挙げた例で言えば、著者Aの書籍が、ある一連の出来事を叙述する年代史のようなもので、そのなかで「人物Bの失言がマスコミなどで話題になった」と書かれているものからの引用であれば、その後の「主張」が名誉毀損ととして成立する可能性はそれほど高くないと思います(独自研究としてウィキペディアからは排除されます)。主張ではなく、事実として「著者が批判的である」と書かれていれば、論評あるいは意見表明と比べると、名誉毀損となる可能性は高まります。このあたりは、「恣意的につなぎ合わせているかどうか、記事中で実際の記述がどのようになっているかも含めて判断することになると思います。また、人物Bを批判しているかどうか、ということが著者の社会的信頼を低下させるかどうかということも論点となるでしょう。--Ks aka 98 2009年4月14日 (火) 18:35 (UTC)[返信]
へのいちです。私のコメントはまたもや言葉が足りなくて、誤解させてしまったかもしれません。Ks aka 98さんのコメントはDumpty-Humptyさんの問いかけに合わせたもので、妥当なものだと思います。「見当違いの“議論”」といってしまいましたが、そのような方向に進むような問題提起のしかた ---つまり、この問題に対するDumpty-Humptyさんの捉え方--- が見当違いではないかと指摘したつもりでした。加えて、Ks aka 98さんの書き込みについてのコメントではないことを、インデントのレベルでも表しておいたつもりでした。いつも変な書き方をしてしまってごめんなさい。--へのいち 2009年4月15日 (水) 10:15 (UTC)[返信]