Wikipedia:井戸端/subj/管理者立候補・推薦キャンペーンを再び

管理者立候補・推薦キャンペーンを再び[編集]

昨日も1名の管理者が辞任され、管理者が63人になってしまいました。

私も半年管理者をさせていただいておりますが、対処依頼の案件がかなり多く未対処案件が山積みになっているように感じます(特に、管理者伝言板への対処報告などが忘れ気味になったりします・・・)。現状の管理者がもう少しアクティブに案件を対処するという方法もあるとは思いますが、その人のライフサイクルなどもあり難しいのかもしれません。現状の人員で管理者業務を分担するより、もっと多い人数で分担する方が一人の負担が少なくなるように思います。

また管理者業務は削除や荒らし対策などに限る必要もなく、例えば「私はLTAとかはよく分からないけど、mediawiki空間の整備してもっと見やすい・使いやすいように出来る。」なんてのも大歓迎だと私は考えます。

なんかのきっかけがないとなかなか立候補に踏み込めないという事もあるでしょうから、昨年行われたような管理者立候補・推薦キャンペーンを今年もやりませんか?

ご意見いただければと思います。--Vigorous actionTalk/History2010年11月23日 (火) 02:41 (UTC)[返信]

前回キャンペーンの効果、弊害について、総括はどちらにいけば見られますか?--お殿 2010年11月23日 (火) 03:11 (UTC)[返信]
前回のキャンペーン関連としてWikipedia:井戸端/subj/管理者立候補キャンペーンの提案ノート / 履歴 / ログ / リンク元 Wikipedia:井戸端/subj/管理者立候補キャンペーンの意見募集ノート / 履歴 / ログ / リンク元 Wikipedia:井戸端/subj/管理者立候補キャンペーンの意見募集/表明場所ノート / 履歴 / ログ / リンク元やそのノートなどがとりあえず見つかりました。--S-PAI 2010年11月23日 (火) 03:26 (UTC)[返信]
Vigorous actionさんが一年少々のアカウント歴で信任され、大過なく管理者業務をこなされている事からも明らかですが、本来、常識的なものの考え方をお持ちで、威張る程ではないがそれなりの編集能力をお持ちで、あとはブチギレる事さえなければ、管理者業務は可能である・・・と思うのですが、如何でしょう。現役管理者、元管理者諸兄のご意見を伺いたいところでございます。
もしそれが事実であるなら、立候補時の質疑応答のハードルを下げる何らかのキャンペーンも同時に執り行えればより効果的になるでしょうね。為し得るなら、それが根付いてくれれば。RfAの現場をたまに見せて頂きますと、他人事なら暗澹たる気持ちになってしまいます。生きていてすいません・・・と。
なお、管理者が60名少々と言うことで、「信任されたら、超がんばらなきゃ!」の意識が芽生えてしまうかもしれません。私もRfA経験者ですが、一日30分など、思えば奇特な人材でした(病気療養中の身の上で、原則的に暇なのですが)。「週15分でも充分貢献しているんですよ!」と強く主張してみるのも手でしょう。--Hman 2010年11月23日 (火) 03:57 (UTC)[返信]
コメント 元管理者でも現管理者でもないですが。
前回のキャンペーンで使われたWikipedia:管理者/募集の文章が、とても腰が引けたものだったのが気になりました --- 第1節のすべての箇条が否定文です。
管理者信任のハードルを下げるのは大いに賛成です (解任の手続きを精密化することなんかより、はるかに有益ですよね)。しかし、管理者の数を増やしたいというのなら、▼管理者がひごろから、自分のやっていることをわかりやすく説明すること、▼管理者になったひとは手助けを期待できることを、具体的なかたちで保証すること、が必要だとおもいます。
しかしあの文章は、「そこまで責任もてないよ。管理者になったら、全部自力でやってよ」と暗に語っているように読めるのです。わたしは管理者ではありませんから、そういう文章を変えることはできませんが。--Hatukanezumi 2010年11月23日 (火) 04:55 (UTC)[返信]
コメント一定の基準を超えた利用者には基本的に権限を付与する、という方式に変えてみたらいかがでしょう。辞退する権利は有り、コミュニティの判断において例外的に付与しないという手段もある、というルールで。管理者とはいえシステム上は単なる限定解除ですから、別に付加機能を使わなければならない訳でもなし、熟練ユーザーは自分の意志で今まで通り行動するんじゃないでしょうか。過失や暴走があれば相応の対処されますしね。かたや慢性的な管理者不足、かたや異常に高い心理的ハードル。立候補も推薦も有効に機能しないのも無理ありません。いっそ機械的に順繰り推薦、異論がなければ自動的に権限付与、でいいじゃないですか。編集回数や期間など、どのレベルの利用者なら相応しいかの基準作りは相当時間を掛ける必要はありますけれども。もちろん現行の制度も併存して良いと思います。コミュニティに認められれば基準に満たなくとも例外的に付与すればいい。こういうのどうですかね。「管理者」というブランドに価値を感じている人は安売りだと反対するかもしれませんけど、だれも損しないと思うのですが。--220.219.220.48 2010年11月24日 (水) 13:38 (UTC)[返信]
それはありだとおもいます。管理者権限がなにか特別だとおもっているひとが (管理者以外に) 多すぎる。だから管理者も萎縮するし、ときとして管理者自身も「自分は、管理者らしくあろう」とおもってしまうのだとおもいます。
ただ、一定の基準をクリアしたら一律に管理者というのも無理なので (管理者権限にはやはり、記事編集に実力で介入できる点、管理者以外の利用者が知り得ない情報を知りうるという点など、特別な配慮は必要です)、いまみたいに無基準で詰問される管理者信任投票ではなく、外形的な基準で管理者資格を満たせば管理者になれる権利を得られるといった方法論は、ありなんじゃないかとおもいます。現管理者・管理者経験者のかたがたは、どう思いますか? --Hatukanezumi 2010年11月24日 (水) 14:22 (UTC)[返信]
◆提案の大半についてはそれなりに同意する面もあるのですが、大多数の管理者権限のうち、削除版の閲覧権限という一点に対して≪異論がなければ自動的に権限付与≫には同意できないかなと思いました。削除版のうち、ケースEなどで削除されたようなものについては別に構いませんが、ケースB-2で削除されたようなものについて、基準をどれほど高くしようが無投票で閲覧権限が付与されるというのであれば、私は同意できないかなと。例えばsysopよりも使用権限が限定された権限グループを設定できるなら「削除版の閲覧権限を除く」という形のものを自動付与するのはありかなと思いますけど、「Wikipedia‐ノート:管理者/インターン制の提案」の「インターン管理者の権限」節や「関連する方針文書の改定案」節を見る限り、そのような権限グループの設定はできなそうに思っています。その点、管理者さんあるいはMediaWikiの設定まわりに詳しい方、可能でしょうか?
私がケースB-2に対して厳しすぎるだけで、大多数の人がそんなこと気にしない(削除されて大多数の利用者が見ることができなかった版も、利用者登録してある程度大人しくしていたら見ることができる、という状況を許容する)なら、ありだと思います。私は、他の点については≪管理者権限がなにか特別≫とは思っていないつもりですが、削除版の閲覧権限だけは特別だと思っています。まあ管理者権限を持っているわけではないので、削除版の閲覧権限について誤解しているところがあるかもしれませんが。--NISYAN 2010年11月24日 (水) 14:57 (UTC)[返信]
管理者の選出方法や信任に関する制度的な提案や、管理者に対するイメージ論などは、このセクションで行うのではなく、新たな別の場所で行うほうが適切でしょう。このセクションは「立候補のきっかけとして」という言葉で表される、「昨年行われたような管理者立候補・推薦キャンペーンを今年もやりませんか?」という論点で進めていくほうが、議論が拡散しないと思います。--海獺 2010年11月24日 (水) 15:57 (UTC)[返信]
昨年やられたことについての振り返りは、どこでやったらいいとおもいますか。--Hatukanezumi 2010年11月25日 (木) 14:22 (UTC)[返信]
HatukanezumiさんとNISYANさんご意見ありがとうございます。おっしゃりたい事はよく分かります。ただそれらも「基準作り」次第で対応可能かと思うのです。例えば貢献度・熟練度などの他に他者の信任も必要とか。いわばお墨付き制度。NISYANさんも、この人なら管理者やってもいいのになあと思っている利用者はいると思うのです。その意思を表明する事が投票の代わりにはなりませんか? 現状の推薦や投票より優れているのは、いつ名前を挙げてもいいし、取り下げるのも自由。取り下げない限りは有効なので時間的制約がないというところ。当然、意思の表明=投票を出来る人にも一定の基準が必要になりますね。ログインユーザーとして実績を積み、数年たつ頃には他の熟練ユーザーの5人なり10人なりから信任を得ている、管理者になるにあたって大きな異論も出ない。こういうユーザーは管理者に相応しいのではないですかね。もし立候補したなら信任されます。そういう人物を単に立候補しないからという理由だけで除外してしまうのは惜しい。インターン制も結局はまず立候補ありきです。海獺さんはインターン制の議論の中でKodai99さんやDojoさんに管理者になる事を薦めていましたが残念ながら管理者になっていただけてません。厳しい質問を承知であえて立候補するメンタリティ、を重視している訳ではありませんよね?
と議論を続けてしまっていますが。海獺さんのご指摘はもっともです。場所がまずい。かくいう私はログインする気力もないかげろうウィキぺディアンでして。上記の基準など来世まで掛かっても満たす自信もなく。当然一目でやっかいだと分かるこんな話題の議事進行する持続力も持ち合わせておりませんで。もし奇特な方がいらっしゃいましたらこの拙いアイデアを発端に新しい制度の議論を初めていただければ幸いです。ノートに移すなり他の場所で続けるなりして頂けたらと思います。その際はぜひ海獺さんにもご意見をいただけたらうれしい。なにぶん権限のないユーザーにはイメージで語る以外に方法がありませんのでひとつよろしくおねがいします。
最後に本論への意見。前回は、やる気だけはあるが基準に満たない稚拙な立候補が増えた、という印象があります。キャンペーン自体の問題というより、アナウンスの仕方が難しい。気軽に立候補はしてほしいが、信任の基準が軽くなったわけではないという…。悩みどころですね。--220.219.220.48 2010年11月25日 (木) 18:06 (UTC)[返信]

前回は単にsitenoticeに掲示しただけにも関わらず、立候補者が多数でした。立候補した方も、投票をした方も、短期間の間に集中したことで、管理業務のことなどを考えていただける機会になったのではないかと思います。再度やる価値は十分にあると思います。--海獺 2010年11月24日 (水) 15:57 (UTC)[返信]

短期間の間に集中したとのことですが、その結果審査の質は確保できたのでしょうか?履歴をみると、キャンペーン中の落選率が高く、また、信任された管理者の投票後の活動でも問題点が指摘されているケースが見えます。さらに、キャンペーン後に再び立候補数が低下しているように感じます。再度確認ですが、そのあたりを含めた評価はキャンペーン終了後どちらかでなされたのでしょうか?
一般的に言って、立候補、投票のいずれも短期間に集中するよりも分散したほうが慎重になされると思うのですが、集中させるメリットはどこにあるのでしょうか?なぜ管理者に立候補する者が減ったのか、という根本的な問題から視点をそらしているような気がします。--お殿 2010年11月27日 (土) 12:42 (UTC)[返信]
申し訳ありませんが、この提案に関することについて私からお殿さんへのレスはいたしません。ご了承ください。--海獺 2010年11月27日 (土) 14:56 (UTC)[返信]
『キャンペーン中の落選率が高く』とおっしゃっているように、一定以上の審議の質は保たれていると考えます。また当選後の管理者活動でも問題点が指摘されているケースと言うのは誰の事かは明言を避けますが、キャンペーンを行う前に就任し他後問題行動があり解任された管理者もいる事からキャンペーン自体に問題があったとは考えられません。--Vigorous actionTalk/History2010年11月30日 (火) 07:05 (UTC)[返信]

審議すべき内容[編集]

明確な反対意見がないと考えますので、キャンペーンを行う方向で話しを進めたいと思います。ただし反対者が多くなるようであればその時点で再度話しを継続するかどうかを確認しようかと思います。

現在のところ、出されている意見で当該キャンペーンで審議すべきものとして、下記のようなものがあると思います(その他随時必要な事項があれば書きたしてください)。またその他に出されている、「管理者制度の改変」・「選出方法」などについてはそれぞれ別にご提案いただき決定が出ればその決定に基づきこちらの方も合わせて変更する方向で行きたいと思いますがいかがでしょうか?--Vigorous actionTalk/History2010年11月30日 (火) 07:05 (UTC)[返信]

審議が必要なもの。

  1. 「立候補時の質問のハードルを下げる」
  2. Wikipedia:管理者/募集の文言を見直す」
  3. 「立候補・推薦キャンペーンの方法」