Wikipedia:井戸端/subj/引用と著作権の関係について

引用と著作権の関係について[編集]

Wikipediaでは出典を明記する事が重視されていますが、出典を元に記事を書こうと思えば、コピペの様な状態になるのは必然だと私は感じます。最近、著作権侵害で削除された記事の再作成(具体的には削除依頼/ジョナタ・バストス及び削除依頼/ジョナタバストス)を何度か見て疑問に思ったのですが、たとえWP:DP#B1WP:CSD#G9に該当しそうな記事であっても、出典を明記してさえいればWP:引用要件を満たして存続となるのでは無いでしょうか?皆さんのご意見を募りたいと思います。--知識熊会話2017年11月24日 (金) 06:34 (UTC)[返信]

コメント そのあたりについては、Wikipedia:原典のコピーはしない#検証可能性との関係をご確認ください。
検証可能性は「投稿内容の正確性を支持する信頼できる公刊資料(無期限半保護)の書誌情報を示せ」ということであって「資料を書き写せ」ということではありません。あくまでも、自分で書いた、自らが著作権を保有する文章表現を持ち寄るのが、ウィキペディアの原則です。
あくまで著作権は「表現」に対するものであり、江差追分事件にあるように、「思想、感情若しくはアイデア、事実若しくは事件など表現それ自体でない部分又は表現上の創作性がない部分において既存の言語の著作物と同一性を有するにすぎない著作物を創作する行為は、既存の著作物の翻案に当たらない」のです。--Jkr2255 2017年11月24日 (金) 09:20 (UTC)[返信]
「出典を元に記事を書こうと思えば、コピペの様な状態になるのは必然」ではないのです。情報だけ取り出して、文章は再構成してください。--Jkr2255 2017年11月24日 (金) 09:21 (UTC)[返信]
コメント 殆ど同じ内容の質問として、昨夏に Wikipedia:井戸端/subj/引用のリスクについて という議論がありました。--Nami-ja (会話 / 履歴) 2017年11月24日 (金) 09:23 (UTC)[返信]
コメント 追記 ご質問内容をそのものズバリ実践した前例として「適切に出典情報源を明示した上で『内容のほぼ100%を原文からの翻案転記を行って』削除依頼に至った例」に Wikipedia:削除依頼/鈴木光男 があります。審議の推移と、先行議論としての ノート:鈴木光男#著作権侵害の恐れについて での質疑応答が参考になるものと思います。--Nami-ja (会話 / 履歴) 2017年11月24日 (金) 17:59 (UTC)[返信]
  • コメント まず、引用の要件の必然性に引っかかると思います。削除依頼での引用元を見るに、引用などせずとも百科事典として必要な記述を書けるでしょう。次に主従関係は単なるトータルの文量ではなく、引用した記述に対しある程度触れていないとダメだそうです[1]。--JapaneseA会話2017年11月24日 (金) 10:20 (UTC)[返信]

コメント「情報だけ取り出して、文章は再構成」したとしても井戸端/subj/引用のリスクについてでも触れられているパクリなのでは無いでしょうか?まぁ、パクリは一部著作権法の対象外のようですが、それでもまだ問題なのでは無いかと感じます。--知識熊会話2017年11月29日 (水) 06:56 (UTC)[返信]

返信 パクリではないです。全く問題ありません。仮に小説などフィクション作品内の事柄であればその情報自体もすべて著作者による創作物なので、その表現だけを変えても原著者の創作性が残ってしまう可能性はありますが、その原典の内容が創作の産物でなく単に事実を記述したものであるなら、原典の表現を盗用などしないかぎり原著者の創作性は一切残らないことになります。現実の出来事は誰かの創作物ではありませんから、それを自分のオリジナルの文章表現で記述したものであればそれは唯一、筆者本人だけの著作物であって、誰のパクリでもありえません。著作権法でいう「引用」とも無関係です。上記リンク先の過去議論でもそのような結論が説明されているのでご一読されればお分かりいただけると思います。--ディー・エム会話2017年12月5日 (火) 10:08 (UTC)[返信]
(補足)上記の説明は直近のコメントに対するもので、冒頭の削除案件に対するものではありません。もしご本人の文章力の限界として「コピペの様な状態になるのは必然」というのであれば、能力的にそれを克服いただかないかぎり、その方にはウィキペディアでの編集活動は難しいように思います。改めて補足するほどのことでもないとは思いますが、念のため。--ディー・エム会話2017年12月5日 (火) 10:38 (UTC)[返信]