Wikipedia:井戸端/subj/廃案を旨とする議案で必要な合議のプロセス

廃案を旨とする議案で必要な合議のプロセス[編集]

元はWikipedia‐ノート:性急な編集をしないでの案件です。内容は、標準名前空間の物でも構わないと思うのですが、一応、「ガイドラインにおいて、それを廃案とする旨の議案が出された場合」とします。

その場合、私は必要なプロセスは廃案とする旨の合意形成だと考えてます。その手順はそのまま合意形成の手順に沿って行われ、その議論で廃案とする合意形成が得られた時に初めて、その内容も廃案にされるのだと考えます。

一方で、相手方の意見は「合意の礎を失っていることが容易に確認できるようなガイドラインの効力を維持しているのは異常な状態である」から、即時に内容を廃案としても問題はなく、「廃案の合意形成」は必要とせず、むしろ「維持の合意形成」が必要であるという主旨の内容を述べています。無論、廃案の合意形成がされてないということは、廃案に反対する立場が存在しているということです。

実際の議論においては、その「合意の礎を失っていることが容易に確認できる」と言う点に反論はあるのですが、それは置いといて、ウィキペディア上のルールとして、「合意の礎を失っていることが容易に確認できる」と言う場合には、廃案の合意形成を経なくても、廃案とすることが可能で、その場合にはむしろ維持の合意形成が必要なのでしょうか?またその場合に「合意の礎を失っていることが容易に確認できる」とはどのように確認するものでしょうか?--EULE 2009年8月3日 (月) 14:40 (UTC)[返信]

議論の当事者です。内容を補足しておきます。
Wikipedia‐ノート:性急な編集をしないの7月13日の時点の途中集計ですが、コメントのみ除外の単純集計で、廃案支持7名、廃案反対3名です。すでに廃案支持者が10人中7人と、全体の7割を占めることから、すでにこのガイドラインに効力を持たせることには少なくとも議論当事者の間ではコンセンサス、合意は存在しないと考えられます。
しかし、たった3割、3名の指示であっても、100%の廃案のための合意形成があるとは言えません。だから、廃案はできないという結論がとりあえず出る。
次に、すでにガイドラインの効力の礎となる利用者間の合意が崩れ去っており存在しないのに、ガイドラインはその「廃案合意に至らなかったという結論」を理由として、ガイドラインは存続で効力を持続する、という異常な結末となります。合意もないのにガイドラインは実行力をもち存在し続ける。結局それは廃案に反対した3名が合意しなかったからです。一方で大半の7割は廃案に賛成していてもです。
私はこの場合、もっとも本質的な要素は、廃案に反対した利用者であれど、大半の70%の利用者がガイドラインを否定している、つまりそのガイドラインは大勢に指示されていない、という事実を認識した時点で、彼らがガイドラインの廃案に追従合意するのが、本質を損なわない道理であろうと考えます。
さらに問題の解決を困難にしている要素として、EULE 氏その他の利用者の言動を見ていると、その廃案論が大勢と認識するや否や、文面の問題であるから改定案を作成する、それを検討するまで結論は保留である、その他もろもろ、結論を先送りし、けして廃案には合意する気配が感じられない、率直な表現でいうと「ゴネ」ているのが観察されます。
特にこういう態度の利用者がいると、原理的にもう廃案合意は存在しえません。「廃案合意」という名前の合意ではあるが、これは実質、アキレスと亀のごとく、けして到達できない飾りであり、それは実際「合意」「形成」のいずれの作業でもありません。ただの合意形成の妨害行為であるとわたしは認識しています。--Wp99 2009年8月3日 (月) 15:14 (UTC)[返信]
(゚Д゚)ハア? ウィキペディアは多数決じゃねっしょ。まー合意形成で多数派の見解を重視するってのはアリだろうが、『彼らがガイドラインの廃案に追従合意するのが、本質を損なわない道理であろうと考えます。』って、(゚Д゚)ハアア?? 単純な多数決だって、少数派が見解を変更する義務なんかないょ?総意に反映されないだけで。--58.0.105.88 2009年8月3日 (月) 17:24 (UTC)[返信]
どこに、多数決かどうか、なんて議論していますかね?見解を変更する義務はないが、結果として合意の礎がない方針が効力を持つという本論についてはまったく無頓着なんだな。--Wp99 2009年8月3日 (月) 17:32 (UTC)[返信]
うん。「多数決で決めよう」ぢゃなくて、「大勢に同意しろ」っつってんだもんね。なお悪ぃや。で『合意の礎』って何?ソレがないって誰かが言い出したら方針を無効にできるって?ンなことどこに?合意形成したくて、でも決着つかないってんなら井戸端なりコメント依頼りで告知打ったら?変な用語発明する前にさ。--58.0.105.88 2009年8月3日 (月) 23:04 (UTC)[返信]
「で『合意の礎』って何?ソレがないって誰かが言い出したら方針を無効にできるって?ンなことどこに?」何?って上の文章読めば分かるでしょうね。ソレを言い出しても必ずしも無効にできるわけはないが、ソレを言い出して調査投票したあげく、7割とか廃案賛成という結果がでるならば、それはすなわち、7割も合意を拒否している、3割しか合意していないある方針が10割の利用者の行動を規定するわけで、それはおかしいというのは理解できませんかね?それしか書いていないんだが。この場合、そう、「その方針はすでに合意を根拠とした効力を持たすことは認められない」となり、結果として「大勢に同意しろ」ということになる。なぜなら7割のほうが「3割以下の少数に同意して」全体としては合意もない方針に従うのは不合理であり、全体の合意のない方針に全体が従う道理などない、と当たり前の理由からそうなる。この理屈理解できないうちに、あなたがコメント依頼だの用語発明だのガーガー文句いったところでなんもはじまらないし、何言っても無駄でしょうね。--Wp99 2009年8月4日 (火) 01:55 (UTC)[返信]
EULEさんが前提としているのは、ウィキペディア日本語版(JAWP)において、ガイドラインが存在するという既存状態がある以上、その既存状態を変更するには廃止の合意が必要だ、ということだろうと思います。過去に適切な手続き(JAWPでは合意)によってルールが成立したならば、改めて適切な手続きによって廃止されるまでは、その過去の合意を根拠として効力を持ち続けるのだ、というのは、例えば日本や諸外国の制定法がそうであるに、一般的な考え方でしょう。また、現在の意識がどうであれ、あるルールが過去に適切な合意と手続きによって成立したのであれば、そのこと自体がそのルールに従うそれなりの正当な理由となります。もし、過去の合意やそれによって作り出された既存状態の尊重というものを一切考慮しなければ、「等しきものは等しく扱え」という形式的正義の要請(公平性の要請)を通時的に実現することも困難になりますし、利用者はあまりにアドホックな合意変遷の危険に備えなけらばならず行為規範というものがほとんど機能しなくなってしまいます。JAWPのガイドラインなどについても、このような考えが当てはまると思います。
とはいえ、制度の形式論としてはそういうものであるとしても、実質論としては、いくつもの疑問が呈され、廃止への支持が強く、存続・改正派も問題があると考えているようなガイドラインにあまり強い権威や正当性は認めがたく、柔軟な解釈でもって謙譲的な運用をしていくべきであろうと思います。もっとも、そのような運用をしていくと、字義通りの文面と実際の運用に乖離が生じてくるわけで、それにはやはり好ましからざる面がある、ということになるでしょう。そこで、そのような乖離が生じているのだから、あるいは生じるだろう事が明白なのだから、ひとまず廃止してから次の手を考えるべきだというであれば、それは一つの意見としてなりたつと考えます。そこでの判断や議論は、既存状態の尊重、明示的な廃止手続きを要請することによる議論の活性化などと、現在の利用者の意識の尊重、文面と運用の乖離による不都合などのメタな視点も含めたバランス論ということになるでしょうか。
まとめると、「適切な手続き(JAWPでは合意)によって廃止されない以上、存続する」というのはそうであるのが普通だし、それなりの正当性もある考えで、JAWPのガイドラインなどについても形式的な制度としてはそうなっていると思うけれども、それだけではうまくいかないので、運用で修正しくことも含めていろいろバランスを考えていくことになるのではないだろうか、と思います。
なお、Wp99さんへ。意図的なものではないと思いますが、この編集で58.0.105.88さんのコメントを改変してしまっているので、修正されたほうが良いのではないでしょうか。--mizusumashi月間感謝賞を応援します) 2009年8月4日 (火) 11:40 (UTC)[返信]
相手方が有名なソックパペットだったらしくブロックされてしまいこれ以上は、議論が望めないのでここで事実上、案件を終了させてもらいます。その上でいくつか。
「ひとまず廃止してから次の手を考えるべきだ」と言う意見なら確かに一考に値すると思うのですが(それはそう言った提案で合意形成を狙えるわけですが)、相手の意見はそうじゃなくて、あくまで「合意の礎」という概念があって、それが失効するとかそういう認識を持ってるんですね。それはウィキペディア上で当然の考えであるかのように振る舞い、その辺の根拠を聞くと「私はウィキペディアは何ではないかの改定案に関わっている」と言う様なことしか言わないので、とらえようがない。私の合意形成に関する考えも、mizusumashi氏は一般的な考え方であると認めてくれましたが、相手側はむしろ根拠が無いと否定される。そのような形で、井戸端に展開することになったわけですが、私の考えに間違いが無かったと確認できただけでも良かったです。ご意見ありがとうございました。--EULE 2009年8月7日 (金) 23:54 (UTC)[返信]