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Wikipedia:井戸端/subj/個々で話し合っても解決しないと片方が判断した場合について

個々で話し合っても解決しないと片方が判断した場合について[編集]

こんばんわ、はじめましてささのはと申します、今から記述することは私の主観でありますので興味を持たれた方は是非調べて頂いてご意見を頂きたく思います。 私のノートに出典を教えてほしいと利用者:MUSASHIさんから問い合わせがありました。最初は普通にお答えしたのですが、その後MUSASHIさんが利用者:Chokorin氏の発言から私の記述を虚偽の記述と断言しているのを知り、この両名にまず謝罪を要求いたしました。その結果Chokorin氏は謝罪をなされ私もそれを受け入れ簡単な説明を私の方からさせて頂きその後ノートに記述もないことからある程度納得または不満があってもWikipediaに記載するほどのことでもないと判断されたものと私自身は考えChokorin氏とのことは終わっているものと思っております。しかしMUSASHIさんの方は謝罪を拒否されました、私はそのことでこの方と個々で話し合っても無駄であると判断し私と会話なされたいのならコメント依頼でお願いしますと申し入れをしましたがそれを無視なさいまして、現在無意味な会話の真っ最中であります。興味の持たれた方でMUSASHIさんと志を同じくされた方はどうかお願いします、私の行動についてのコメント依頼を提出して下さい。自分で提出することも考えましたが誰も書き込まず自分自身で自己弁護してるだけになった時のことが心配でできませんでした。もしいらっしゃらないようでしたらどうかお願いです仲裁に入って頂ければと思います。以下は関連ページを記載しておきます。

ノート:ヤマト王権#「7世紀の大和朝廷の勢力図」誤りでは?ささのはの関連発言が一回削除してあります

利用者‐会話:ささのは#おたずねします。ささのはの関連発言が一回削除してあります

利用者‐会話:Chokorin#この記載への謝罪を要求します

利用者‐会話:ささのは#あなたのお考えは?

利用者‐会話:MUSASHI#謝罪を要求します

利用者‐会話:MUSASHI#再度謝罪を要求します

利用者‐会話:MUSASHI#もう一度謝罪を要求します

利用者‐会話:MUSASHI#なぜコメント依頼をされないのですか?

利用者‐会話:MUSASHI#再三再度謝罪を要求します

利用者‐会話:MUSASHI#合意の形成に向けて

お恥ずかしいことでありますがどうかよろしくお願いします。--ささのは 2010年7月17日 (土) 14:47 (UTC)[返信]

そのためのコメント依頼かと存じます。個々の利用者の態度や所定の記事でのトラブルを井戸端で論じることは適切とは言えません。断片的に拝見するに、ささのはさんが一方的に議論を拡散させているようにもお見受けしますが、まずはご自身でコメント依頼を提出し事態を一元化すべきかと考えます。なお、事態の当事者として、相手に一方的にコメント依頼を提出するよう請求することは、余り妥当な態度とは思えません。--夜飛/ 2010年7月17日 (土) 15:14 (UTC)[返信]
ご意見ありがとうございます、夜飛さんのおっしゃられているコメント依頼は ささのは/利用者名 と言う意味でしょうか?自分の行為は間違っていない考えている場合に自分自身のコメント依頼は適切なのでしょうか?またその場合相手側の方は来て下さるか心配です。--ささのは 2010年7月17日 (土) 15:24 (UTC)[返信]
いえ、この場合はささのはさんが相手の行動を問題視しているのですから、相手方の利用者名で立てるべきでしょう。その上で、相手が「被依頼者のコメント」を入れるかどうかは相手方の自由意志で、実際問題として利用者の行為に対するコメント依頼では、被依頼者が「来てくれるかどうか」は余り重要ではありません(あくまでも第三者意見を募るという趣旨なので)。そうして客観的第三者がコメントを入れてくれるわけですが、そのコメントに対しては被依頼者のみならず、依頼者である側も真摯に受け止めるべきかと。なお依頼者の行動や態度に問題があるなら、依頼者に対する指摘が寄せられることにもなりますので、結果的に依頼者自身の利用者名でコメント依頼を提出したのと同じ結果になるので、自身の行動の是非も問うにも問題は無いでしょう。特に依頼者が自制すべき箇所が無いかを問う場合には、依頼文に依頼者へのコメント(意見)も募集している旨を明記しておけばいいと思います。--夜飛/ 2010年7月17日 (土) 15:54 (UTC)[返信]
夜飛さんありがとうございます、ただ揉める前はMUSASHIさんの謝罪⇒ささのはの説明、揉めてからはささのはの無実の証明⇒MUSASHIさんの謝罪のほうが物事が単純でわかりやすいので待ってみて誰もコメント依頼をされないようでしたら参考にさせて頂きます。--ささのは 2010年7月18日 (日) 01:14 (UTC)[返信]
コメント議論は追っていません。一般論的に。個人的には「謝罪」ってあまり重要じゃないと思ってます。謝罪を求める側の気持ちの問題だけなので。自分は必要なら謝罪するけど、他人には別に求めない、と。それよりもまず、大事なのは「虚偽かどうか」です。虚偽かどうかで認識の違いがあるのならば、じゃあ、正しいのは何かを、両者で情報源を示しながら、適切な記述を探ることが求められることです。
虚偽だったのなら、謝るべきはささのはさんです。そうではなく、まったく疑義を差し挟む余地なく、また妥当な異論が存在していないという水準で真実であることが、得られうる信頼できる情報源から総合的に判断でき、そのうち最も信頼できる資史料を提示しているにもかかわらず、虚偽であると言われたのであれば、のであれば、謝罪を求めてもいいでしょう。
まったく正しいわけではなく、まったく虚偽というわけではないようなことだったならば、あるいは、虚偽ではないとしても虚偽と受け取られる余地のある提示の仕方だったのならば、それぞれがその場その場で考えたことや日本語の文法やそれぞれの概念理解について詳細に議論してもいいですが、まあ水掛け論になって無駄に終わると思います。--Ks aka 98 2010年7月18日 (日) 06:27 (UTC)[返信]
Ks aka 98さんコメントありがとうございます、1つの目ご意見はその通りで第三者を交えた場所で証明したいと希望しております。2点目については虚偽だとコミュニティが判断した場合私の方から謝罪したいと思います。3点目についてはまさにそれが現在行われていますので助けてほしいと言うことです。記事を追っていないとのことなので興味があれば読んでみてMUSASHIさんに共感できるなら是非私に対するコメント依頼をお願いしたいと思います。--ささのは 2010年7月18日 (日) 07:09 (UTC)[返信]
コメント一通り議論は拝見しましたが、核心部分は当事者間で解決可能な事例のように思います。まずは当事者間で十分な議論をなさってください。
議論を尽くした上で、それでもまだ解決できない場合に合意に向けての議論参加を呼びかけたり、特定の利用者の態度や傾向についてコメント依頼を活用されるという手順がよろしいのではないでしょうか。むやみに有限なコミュニティリソースを乱用すべきではないと思います。--大左衛門 2010年7月18日 (日) 18:59 (UTC)[返信]
大左衛門さんありがとうございます、両方が無駄だと思うまでは両者で話し合うべきと言うことですね。それは私にとって苦痛以外の何物でもありません。読んで下さりありがとうございました。--ささのは 2010年7月19日 (月) 04:26 (UTC)[返信]

もう少し詳しい説明をさせて頂くと、これはよくある編集合戦からくる議論ではありません。こういう問題が発生した多くの場合、それを論じる場として各記事のノートが提供され、自然と第三者が介入し解決されてきましたが、すでに出典が提示されてから11か月が経過しており、その記事も現在は削除され、削除理由や削除された方には私も理解を示しています。時間の経過とともに第三者を交えて話をする機会を失いました、また編集合戦からくる議論の場合は揉めた個々で合意に至れば意味のある議論となりますが、今回の問題では個々で合意に至ったとしても何も意味のないものです、必ずコミュニティの判断を要する問題だと認識しております。わかりやすく言えば一度議題になってしまえばささのはにもMUSASHIさんにも判断する権限はないということです。と言うことで改めて待ってみます。--ささのは 2010年7月19日 (月) 09:58 (UTC)[返信]