Wikipedia:井戸端/subj/他のウィキペディア記事にある出典なしのデータを記してよいか

他のウィキペディア記事にある出典なしのデータを記してよいか[編集]

例えば、A市出身でBという事跡のあるC氏がいて、(C氏自身の記事をつくるには至らないが)A市記事には生没年があるがその出典はないとき、そのC氏の生没年をB事跡記事中のC氏のところに「ウィキペディアのA市記事を根拠として記述」してよいか。もう一例をあげると、A川を渡るB道路の橋Cがあって、(C橋自身の記事をつくるには至らないが)A川記事には橋の長さがあるがその出典はないとき、そのC橋の長さをB道路記事中のところに記述してよいか、という疑問を持っています。既にどこかにガイドはあるかと思うのですが、いかがでしょうか。--Sibazyun 2011年2月5日 (土) 13:39 (UTC)[返信]

コメントご存知のように、ウィキペディアの他の記事は、「参考」にはなりますが「出典」にはなりません。従って、新規の記述でも他の記事からの部分転載でも全く同様で、記述自体はできますが、出典の記載が無い以上、Wikipedia:出典を明記するに従って、別の方に「要出典」タグを付けられたり削除される可能性があると思います。実際には、他の記事を参考にしての記述は、私は他国語版からの翻訳も含め多数やっており、後で出所が議論になりそうなものは、履歴継承としてコメント欄に「○○の○○の版を参考に追記」とか書いています(もちろん、それでも要出典ですが)。--Rabit gti 2011年2月5日 (土) 14:38 (UTC)[返信]
検索したらWikipedia:井戸端/subj/Wikipediaの他記事を出典として記事を執筆することの是非っていうのが引っかかりました。Wikipedia:信頼できる情報源はまだ草案ですが「ウィキペディアは三次資料です。ウィキペディア自身の記事を出典として引用することは、自己参照となるため、できません。」とのことです。--110.67.107.125 2011年2月5日 (土) 14:44 (UTC)[返信]
ガイドラインはさておき、一読者として言いますが、ウィキペディアは百科事典なのだから、確実に信頼できると思われる情報以外は書き加えないでほしい。「おおむね正しいと思われる」程度の情報が全く無価値だとは言いませんが、ウィキペディア(=百科事典)の情報としては使えないと思います。--Dwy 2011年2月5日 (土) 14:46 (UTC)[返信]
 AのCの論拠となる文献を探し出してからBに加筆するのが無難だと思います。なお、Aでだけ文献を参照してBでは重複して参照することはしない、という場合は、AとBの関係がTemplate:mainを用いるような、明確な子記事・親記事の関係である必要があったと思います(規程文書がどれだったかは失念しました)。--Akaniji 2011年2月5日 (土) 16:26 (UTC)[返信]
そういう方針系文書ってあるんですかねぇ。ちょっと疑問です。ウィキペディア日本語版の記事は当然ながら各記事単位でライセンスに従って再利用できますので、それを実現するためにある程度の仕掛けは必要になってくるとは思いますし、そしてそれは非常に困難ではないかと思うのです。いうなれば、そういう方針系文書があったとすれば、それは廃止を検討する余地があるのではないかと思います。
そういう話はおいといたとして、仮に「明確な子記事・親記事の関係」があったとしても、できる限りBにも情報源とした文献を記載した方が読者のためになると思います。--iwaim 2011年2月5日 (土) 17:48 (UTC)[返信]
 ライセンスと検証可能性は全く別物でしょう。著作権上必要な「引用の出どころ」と、検証可能性向上を目的とした「検証資料」を混同しないでください。--Akaniji 2011年2月6日 (日) 01:55 (UTC)[返信]
別ものですよ。で、(記事Aに情報源は提示されているけど)情報源の明示がない記事Bだけを抜き出して再利用することはライセンス上全く問題ない行為です。そのとき何が起こるのかといえば「検証可能性」を満たさない状態でウィキペディア日本語版の記事が流通するということですよね。それは「ウィキペディア日本語版」の信頼性を損ねかねないことであると私は認識しています。この主張が《著作権上必要な「引用の出どころ」と、検証可能性向上を目的とした「検証資料」を混同》している状態とは言えないと判断しています。ウィキペディア日本語版の信頼性を損ねないように各種方針を整備することも、我々プロジェクト関係者は考えねばならんはずです。--iwaim 2011年2月6日 (日) 03:04 (UTC)[返信]
 template:mainを含めて抜き出して再利用されていれば、記述に疑問を持った読者は子記事を参照して検証文献を発見できますから、ウィキペディア日本語版の信頼性は損なわれないでしょう。template:mainを含めずに抜き出し再利用された場合のことまで想定しなければならないとは、考えづらいですね(脚注節を省いて再利用された場合を想定はしないでしょう)。ライセンスの要件は項目ごとに担保しなければならないでしょうが、検証可能性は事典総体として担保されれば十分で、同じ文献を、親子関係が明白な項目間で重複して示すのは、無駄に思われます。実際にそれをされるのを止めはしませんが、義務や推奨事項であるとするべきではないと思います。--Akaniji 2011年2月6日 (日) 04:38 (UTC)[返信]
私は《同じ文献を、親子関係が明白な項目間で重複して示す》ということはやむを得ないという考えです。再利用は無視するとしても、そもそも記事Bのある記述の情報源が記事Aに示されていることを、記事Bの読者に明示的に示す必要があるはずです。{{main}}の先にある記事を参照すれば情報源がわかるということを明示的に示すなら問題はないかもしれませんが、それをやらないのであれば「Wikipedia:出典を明記する」とはかけ離れていると考えます。ま、この話題は『Template:mainを用いるような、明確な子記事・親記事の関係である場合は子記事の情報源は省略可能』という方針系文書のノートでやった方がよさそうですね。--iwaim 2011年2月6日 (日) 05:39 (UTC)[返信]
コメント 《既にどこかにガイドはあるかと思うのですが、いかがでしょうか》については方針「Wikipedia:検証可能性」と草案「Wikipedia:信頼できる情報源」によって明確に否定されているという認識です。もちろん、現状のウィキペディア日本語版は「検証可能性」を満たさない記述については、実情としては受け入れられているとは言えます。それを踏まえてあなたの自己責任で加筆することはできるかもしれません。その場合はもしその箇所について他者からの異論がでた場合、どのような対応をするのかを考えておくのはよいことだとは思います。参考ですが「Wikipedia:検証可能性#出典を示す責任は掲載を希望する側に」などの内容が方針にはあります。なお、そこで「記事Aにあったから」という主張はできるかも知れませんが、それがウィキペディア日本語版の各種方針などを踏まえた場合にどれだけの説得力があるのか、そしてそのような主張を行う人物に対してどのような評価が与えられるのかについても考慮した方がよい気はします。--iwaim 2011年2月5日 (土) 17:42 (UTC)[返信]
(お礼)皆様、ガイドの場所をはじめとする情報を示していただきありがとうございます。肝に銘じます。--Sibazyun 2011年2月6日 (日) 06:24 (UTC)[返信]