Wikipedia:井戸端/subj/人物記事の冒頭に元を入れるか入れないべきか

人物記事の冒頭に元を入れるか入れないべきか[編集]

Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 野球選手#故人の元選手は「元プロ野球選手」ではないのかで亡くなった野球選手を元野球選手と書くべきか野球選手と書くべきか議論がなされています。過去に井戸端かあるいはどこかのノートで似たような議論(たしか過去に大統領だった人物などの記述方法について議論されていたと思います。)があったと思いますがどなたかおわかりになりますでしょうか。また野球選手に限らず一般的なこととして動記述した方が良いかコメントをお願いします。亡くなったかどうかで分けて記述した方がいい、一律に元をつける、つけない、歴史上の人物であればつけない、いつ頃活躍(特筆性のある活動をしていたか)した人物であるか記述するなどが考えられますが他にもあるかもしれません。--Tiyoringo 2010年7月15日 (木) 14:21 (UTC)[返信]

  • コメント誘導されてこちらへ来ました。
小生は「かつてのプロ野球選手」は生きていようが亡くなっていようが現役で無い以上「元プロ野球選手」であるのが自明のことだと思っていました。妥協的案としては「○○は野球選手である。」ではなく「○○は19××年から19△△年にかけてNPLなどで活躍した野球選手である。」と活動時代を明記するならば納得できます。「故人はUSAの第○○代大統領である。」ならば納得です。
この件は少なくともスポーツ人物伝の範囲では(できれば人物伝全体で)統一される必要があるのでは無いでしょうか。--Wakimasa 2010年7月15日 (木) 14:47 (UTC)[返信]
  • コメント 「故人」についてWikipedia:井戸端/過去ログ/2005年5月#故人についてWikipedia:井戸端/過去ログ/2006年9月/前半#故人、故って必要?[1]によりWikipedia:表記ガイド#人名も変更されています。同様な感じで「元」が排除されている可能性がありますが、存命人物等でその時点で現役でない旨に言及する場合など文脈次第であった方が自然な場合にまで除去すべきでないと思います。johncapistrano 2010年7月15日 (木) 14:55 (UTC)[返信]
  • コメント 大統領の話題にはほとんど触れられていませんが、Wikipedia‐ノート:スタイルマニュアル (人物伝)#元・○○という表現も参考になるかもしれません。故人に関して元〇〇という表現をする場合、死去の時点でその肩書きが保持されていたのか過去のものだったのかが個人的には気になります。ボクシングの年間表彰では故人に特別賞が贈られることが多いのですが、その場面では死去の時点で過去のものとなっていた肩書に関してのみ「元」をつけているような気がします。--小内山晶 2010年7月15日 (木) 14:58 (UTC)[返信]
  • (コメント)代数などを記述すべきだという意見も尤もですが、元を付けないと現職と紛らわしい場合などには付ける方がよい、と思います。johncapistrano 2010年7月15日 (木) 15:17 (UTC)[返信]
  • コメント現役でなきゃ「元」をつけなくてはいけない理屈だと、6世紀の王でも18世紀でも王でも、現代の王でないことは確かだから「元王」と書かなくてはならなくなります。この理屈の変なことは、記事の執筆において「現代を起点にしなくてはならない」という前提はないということが忘れられていることだと思います。ある人物の特筆性が王であったという属性によるのなら、単に「王」、特筆性がプロ野球選手であったという属性によるのなら単に「プロ野球選手」でよいでしょう。「元王」と言って間違いではないが、「元」を付けることに意味がないわけです。ただし、存命の著名人の場合には現代の著名人であることがまず第一の特筆性です。次に、元野球選手で、(いま野球監督をしている)、(いまテレビのバラエティー番組に出ている)、(最近国会議員選挙に立候補した)、(いまは引退して本を書いた)など、いま時点における去就が注目されているわけですから、「元」を書くことに俄然意味が出てくるということじゃないでしょうか。ですから、退位した王や外国に亡命した王で、いま生きていて最近の様子が注目される人物は「前王」「元王」と記すべきと考えます。--Chokorin 2010年7月15日 (木) 15:25 (UTC)[返信]
  • コメント一般には言葉を濁さずに「○○は19××年から19△△年にかけてNPLなどで活躍した野球選手である。」と活動時代を明記する。「だれだれはアメリカ合衆国の第○○代大統領である。」でしょう。その人の属性を示す上で、役職のようなものが重要なら、それは期間で切り取られるものです。スポーツなら何年のシーズンでとか、いついつの試合で、「いつ引退したか」という区分は明らかですよね。なかには、そういう時間的な切り取り方が適切ではないものもあります。「誰々は文学者」とかね。それは誰々は「ほげほげ」の「ほげほげ」の性格で変わる。スポーツ選手は、現役、引退があり、比較的若い時期に引退して別の道を歩み、しばしば元選手として言及されるでしょうし、「元」が論点になるのでしょう。スポーツ関係の人物ということで、特にルールを作るということがあってもいいと思いますけれど。--Ks aka 98 2010年7月15日 (木) 15:41 (UTC)[返信]
  • コメント これはあくまで定義文において「元」をつけるか否か、というお話ですよね。それでしたら存命中は特筆性の属する肩書が代わる可能性を考慮して「元~」と表記し、死後はその肩書による特筆性がほぼ確定するため「元」は取る、ということでよいのでないでしょうか。もちろん、第○代~といった端的により具体的な表記が可能な場合はそちらを選択すべきかと思います。--大左衛門 2010年7月15日 (木) 15:51 (UTC)[返信]
  • コメント 再び狭い範囲での話になりますが、ボクシングで資格問題などを検討する場において、その肩書きが現在のものか過去のものかを特に区別する必要がないときに「経験者」という言い方をすることがあります。ボクシングの分野では定義文を「元〇〇」から「〇〇経験者」に書き換えるLTAも存在しますが、これをあながちおかしなこととも突き放しにくい気がします。Jリーグ監督経験者民主党の閣僚経験者一覧国民新党の閣僚経験者一覧Category:日本の閣僚経験者などの「経験者」も「元」と同様に微妙な表現だと思います。--小内山晶 2010年7月15日 (木) 16:26 (UTC)[返信]
  • コメント 昔々に同じ様な議論がありました(最初の議論場所議論の移転先)。それからあとにも同じ様な議論があったはずですが、こちらの方はどこだったかちょっと思い出せません。基本的にはすぐに古くなる表現を使うべきではなく、極論を言えば過去のどの版をいつ読んでも内容が変わらないように書くべきものと思います。2000年に「選手」であった人物は2010年には「選手」ではないかもしれませんが、「2000年に選手であった」事実は何年たとうが変わりません。そういう意味では活躍時期を明記した上で「元」を付けなくてもよいのかなと思います。また、無条件に執筆時点を基準にして、「元」を付けたり付けなかったりすることは、実際にいつ記事が読まれているかわからないので現在POVの点からもよくないのではないかと思います。
ただ現実的には、更新時点と閲覧時点とは多少の時間的なギャップがあるとしても、たいていの場合(きちんと最新の情報に更新されている場合)それほど大きくはないでしょうし、閲覧者の意識からすれば記事の内容は閲覧時点のものと思うかもしれないので「元」がついてないと多少違和感を感じるかもしれません。そのあたりの兼ね合いではないかと思います。作業するほうからいえば、メンテナンスフリーのほうがいいのですけれども…。--Me2hero 2010年7月17日 (土) 11:37 (UTC)補足--Me2hero 2010年7月17日 (土) 11:54 (UTC)[返信]
  • コメント 人物ではなく国家についてですが、Wikipedia‐ノート:表記ガイド/過去ログ3#「旧」ユーゴスラビアでも以前似たような議論があり、ガイドラインに加筆されました。--Hatukanezumi 2010年7月18日 (日) 03:21 (UTC)[返信]
  • コメント ウィキペディアに現在の状況を語らせるから、「元」が必要になり、おかしな話になるのではないでしょうか。ある人物が過去に行った事柄が「特筆」であるから載っているのであって、現時点において「何か」である、というのは重要な情報ではないと思います。冒頭部に書くとしたら、その人物に最も相応しい紹介を書くべきです。その人物が活躍していた時期を書くことは、より丁寧になる部分だと思います。文章の構成上、時制を変えなくてはいけないと思います。現役の人物を書くとしても、最も相応しい紹介を書くべきで、その人物の現状を逐一追っていくのは、何かがおかしいのだと思います(「百科事典として相応しくない」という言い回しにはしたくないのだが)。--Frozen-mikan 2010年7月18日 (日) 05:38 (UTC)[返信]
  • (コメント)履歴のような記事のみであれば元とか旧は使わないで済むでしょうが、同じ職業/地位の人物が関与する紛争や出来事を叙述するにはどちらがその場面での現役/現職/在位でもう一方はどういう立場かという記述は必要となるでしょう。上皇とか法皇とかの呼称も院政やら南北朝やらによって成立したのでは? ここでの論法を天皇にも適用すれば記憶力の乏しい者は年表を横に置いて読まなければならなくなるでしょう。日本語版でなく日本版だから天皇は特別ですかね。johncapistrano 2010年7月18日 (日) 05:52 (UTC)[返信]
  • コメントもう一回。一覧記事などでの「経験者」を考えると、閣僚経験者というのは、「これまでに閣僚になったことのある人」で、過去の経験者がメイン、現在の閣僚は含めても含めなくてもどっちでもいいから、記事なりカテゴリなりの冒頭でどっちか書いておけば済むと思う。
ボクシングの資格問題というのは、育成者とか、関連団体の委員とかになるための「資格」なのだろうと思うんです。それなら、その資格を得て、結果として、その立場になったのなら、それを書けばいい。資格を持っている、持っていない、というのは、それに比べると重要ではなくて、冒頭部には書かなくていいし、本文で書くならこの丁寧になぜこの人物記事でその資格を書く必要があるのかわかるように書けばいい。テンプレとかなら、ひと枠作って書いておけば。
同様に、「同じ職業/地位の人物が関与する紛争や出来事を叙述するにはどちらがその場面での現役/現職/在位でもう一方はどういう立場かという記述」をする上で、「元」とか「経験者」を使う分には、文脈からいろいろちゃんと読み取れると思うので、使えばいいと思うんですね。
同時代的なスポーツ選手であれば、慣習的に使われているから使っちゃう気持ちはわかるけど、特に冒頭部のように、簡略にその人物を説明する立場としていきなり「元」を使うのは基本的に避ける。使わないと書けない事例があれば、どっかにまとめて、必要ならそれについて、具体的に再度検討する、ってことでどうでしょか。--Ks aka 98 2010年7月18日 (日) 06:24 (UTC)[返信]
  • コメント 上で書いたことに一応の注釈ですが、ボクシングで資格問題などを検討する場において、その肩書きが現在のものか過去のものかを特に区別する必要がないときに「経験者」という言い方をすることがあります。と書いたのは主として、現在は地方の賛同が得られずに結論が出ないままになっている世界挑戦資格問題で(日本や東洋の)過去の王座獲得者と現役王者を合わせて王者経験者と表現する場合のことを言いました。特に試験などを経て決まったライセンスを取得するというのではないです。(何の結論も出ていないですが、そこではタイトルそのものが資格となるかならないかが争点になっています。)
これとは違った点でLTAによって定義文の書き換えが行われるのは元ボクサー(→ボクシング経験者)、元トレーナー(→トレーナー経験者)といったあたりです。
さらにそれとは別にWikipedia日本語版では「元(王者)」に対して、「現(王者)」と書かれていることが多く、(注目度が比較的高い)世界チャンピオンなどは陥落した途端に書き換えが行われるケースがあります。
Category:日本の閣僚経験者に関しては、閣僚経験がその人物の最重要な経歴であることが多く、現役の閣僚は含めなくてもいいとはいえ大抵は含めるでしょうし、単に「日本の閣僚」でいいのではないかとも思います。これについての議論がどこかにあったような気もするのですが、ここでの主題とはちょっと外れますので自分のペースで探してみます。--小内山晶 2010年7月18日 (日) 07:11 (UTC)[返信]