Wikipedia:井戸端/subj/ラジオパーソナリティの特筆性について

ラジオパーソナリティの特筆性について[編集]

ラジオパーソナリティも芸能人の範疇に入るかと思いますが、Wikipedia:特筆性 (人物)#芸能人の「検証可能で信頼できる出典において、すでに特筆性が立証されている映画やテレビ番組、舞台公演、その他の作品における重要な役割が明記されていること」について、「検証可能で信頼できる出典において、すでに特筆性が立証されている」=「特筆性に問題なく記事化されている、または記事化にふさわしい」、「映画やテレビ番組、舞台公演、その他の作品」=「ラジオ番組(も含まれる)」、「重要な役割」=「パーソナリティ」と、考えて、「記事化されているラジオ番組のパーソナリティ」は特筆性があると考えて編集や記事作成を行って来ましたが、Wikipedia:削除依頼/小坂真琴において、「ラジオ番組のパーソナリティだからといってただちに単独立項相当であるとは認められない」との結論が出ました。こうなると、ラジオを専業に行なっている人、特にローカルラジオパーソナリティやラジオ単営局のアナウンサーなどの記事はかなり削除対象となると思いますが、どのあたりに線引をするべきでしょうか。皆さんのご意見をお聞かせください。--レンネン会話2012年10月7日 (日) 02:25 (UTC)[返信]

専業のローカルラジオパーソナリティでも勿論、誰の目にも明らかに特筆すべきである場合があるでしょう。どのジャンルでもなのですが、十分な実績を持つケースです。数年以上に渡って複数の番組に深く関わる、などでは如何ですか。これはもう、誰の目にも立派なものです。特筆すべきラジオパーソナリティでしたら、その過程で、何らかの信頼できるメディアによる取材は受けそうです。それが複数に及べば、恐らく問題無く記事の立項は認められるはずです。Wikipedia:削除依頼/小坂真琴でも申し上げましたが、特筆すべきラジオ番組のパーソナリティについては特筆すべきラジオ番組の記事の中で言及すれば良いと思います。それでは明らかに不適切な、他の多くの番組や局面で活躍なさられている方の場合は独立立項が自然ですし、そうでなくとも特記事項が膨らみラジオ番組の記事においておくのが不自然となった時には分割が検討されるでしょう。レンネンさんの仰られるとおり、ラジオ番組とパーソナリティは、他の一般的な作品・放送と比較し、かなり=に近い所にいそうですし。また、私の関わりました案件Wikipedia:削除依頼/知念臣悟では、琉神マブヤーの主人公を演じたくらいではお笑いコンビからピンとして分割できない、お笑いコンビのいち節で述べておけば十分とされました。これと似たようなケースで、閲覧者としても余り小分けにされるよりは「番組の記事で述べておいて十分」であれば、それはそれで便が良いと思うのですが。--Hman会話2012年10月7日 (日) 03:34 (UTC)[返信]
これはやはり第三者言及の有無でしょう。新聞記事検索にかけてみましたけど、小坂真琴さんの場合は第三者言及が皆無に等しいですね。これでは記事を存続するのは難しいんじゃないかな。一方で、同じCross fmのラジオパーソナリティでもTOGGYさんの場合は、(ウィキペディア記事では参照されてないですが)単独インタビュー記事を含めて様々な形で言及されていました。特筆性を証明するのはあまり難しくなさそうです。--Bugandhoney会話2012年10月8日 (月) 15:23 (UTC)[返信]
第三者言及は理想ではありますが、絶対条件にすると色々な意味でちょっとハードルが高いような気がします。TOGGYさんにしても記事内で言及がない以上は、いきなり削除は無いにしても「特筆性」のタグ添付をしないといけないことになりますし。「数年以上に渡って複数の番組に深く関わる」を、「◯年以上担当する、放送◯時間以上の番組が、◯個以上有る」というのを高めに設定して、それだけでも特筆性を担保することにできないものでしょうか。--レンネン会話2012年10月11日 (木) 13:24 (UTC)[返信]
Wikipedia:検証可能性を満たす第三者言及は、あくまで原則論として守らなければならないように思います。特筆性が曖昧で検証可能性を満たさないようなラジオパーソナリティーの新規立項を容易に認めれば、記事の孤立化をはじめとして質の低下(例:概要の不足、独自研究など)は避けられません。もちろん、記事は加筆によって改善されていくことが原則であり、理想ですが、特筆性や検証可能性に疑義のある人物の記事では、そうした改善すらも見込めないのではないでしょうか。そこで、ここは原則論に立ち返るべきかと存じます。また、仮に地方ラジオ局のラジオパーソナリティーであっても、特筆性を満たすような人物であれば、その地域の地方紙や大手紙であっても地域面などで紹介されることは当然にあると思いますし、こうした人物には特筆性を認め、立項しても問題ないように思います。最後に、利用者:レンネン会話 / 投稿記録さんの私案として提示された基準は拝読しましたが、全国あまねく聴取できる音楽家とは違い、ラジオパーソナリティーはその地域でのみでしか聴取できないという特性がある以上、具体的な基準を策定すべきではないと思いました。--Samy flash会話2012年10月11日 (木) 16:19 (UTC)[返信]
私の理解では第三者言及(二次資料)の有無は理想ではなくてウィキペディアで独立記事を書くための絶対条件です。何をもって有意な第三者言及とするかは解釈の余地はあるとは思いますが、自己公表物(一次資料)だけで記事を書けるということになると、基本的にあらゆる事柄で記事を書いてもよいということになって記事が乱立することになると思います。一次資料だけでは百科事典の記事に欠かすことのできない、その記事主題が社会に与えた影響を記述することができません。TOGGYさんの記事に関しては、記事を読めば特筆性があることがすぐ分かるというような書き方がしてあったら理想的だとは思いますが、そういう書き方になっていないからといってただちに特筆性タグを貼り付けなければならない、というようなことはないと思います。そのへんは編集者の裁量でしょう。一方で、削除依頼などを通して別の編集者から特筆性に関してチャレンジされたらそれを証明するほか道は残されていないと思います。--Bugandhoney会話2012年10月11日 (木) 17:26 (UTC)[返信]
お二人の仰る通り二次資料が特筆性の基本的な基準で有ることは承知しています。ただ、ラジオ番組を担当しているという「実績」を付加的な基準として認めることはできないのか、ということです。もちろん付加的なものでしかない以上、このことのみでは特筆性は担保されませんが、その実績が「十分」であれば認められるべきだと思います。そうでなければ、「検証可能で信頼できる出典において、すでに特筆性が立証されている映画やテレビ番組、舞台公演、その他の作品における重要な役割が明記されていること」などという基準は必要ありませんから。そして私はなにをもって「十分」とするべきかが問題だと思っています。私の前提は間違っていますでしょうか。--レンネン会話2012年10月14日 (日) 12:42 (UTC)[返信]
なにをもって「十分」とするかという付加的な基準についてですが、そもそも基準は策定すべきではないと私は思います。何をもってしても、全国あまねく聴くことのできる音楽家とは異なり、ラジオパーソナリティーはその職業上、一部の地域でしか聴取することができないという特性をもっています。つまり、特筆性を客観的に判断することが事実上、困難であり、その基準策定はできないのではないかということです。加えて、次のような問題点があるのではないかと私は考えます。仮に特筆性の基準を策定することによって、新規立項が容易になるとします。そうなった場合、二次資料のないような人物ばかりですから概要文が不足していたり、孤立化してしまったり、そもそもウィキペディアのスタイルマニュアルを逸脱したり、あるいは検証不可能な内容に終始したりする記事が濫造されるのではないかという危険性があるように思います。従って、私としては基準策定には反対であり、基準策定は単なるウィキペディアへの悪影響でしかないように感じます。--Samy flash会話2012年10月14日 (日) 16:59 (UTC)[返信]
うーん、たぶんそれはうまくいかないでしょう。結局、「◯年以上担当する、放送◯時間以上の番組が、◯個以上有る」というのはウィキペディアンが恣意的に決めるしかないですよね。たとえば、高校の先生でも勤続20年なら記事を立ててもいいのか、というふうになっちゃうんじゃないかな。10年ラジオパーソナリティをやってても、その業績が他の媒体で取り上げられたことがない、というのは、特筆性がある、というよりは、その人物には特筆性がない証拠、というふうに受け取られちゃうんじゃないですかね。たとえば、英語版だとen:Ted Williams (voice-over artist)という元ラジオパーソナリティの方の記事がありますけど、記事になっているのは、ラジオをやっていたときの業績というよりも、その後の落ちぶれ方がメディアで大きく取り上げられた、ということが大きく寄与しているからです。結局、ウィキペディアには編集者の意見や価値観・基準を反映させるべきではないという方針上、その人物が外部の媒体で取り上げられたかどうか、その評価を判断基準にするしかないと思います。--Bugandhoney会話2012年10月14日 (日) 17:15 (UTC)[返信]
あぁ、私の言ってることは「現状に合わせて基準を下げろ」と同義でしたね。馬鹿なことを言いました。長々とお付き合いいただきご迷惑をお掛けしました。取り敢えず自分の作った記事くらいは何らかの対処をしていきたいと思います。--レンネン会話2012年10月18日 (木) 22:48 (UTC)[返信]