Wikipedia‐ノート:管理者/管理者の役割

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これまでの論点まとめ。

議題は3つ。ひとつは管理者の名称を変えるべきかどうか。もうひとつは、管理者がウィキペディアの内外でどう振る舞うべきか。それに、Tomosの外部メーリングリスト上での言動は適切なものであったか?

  • ひとつめの議題について出た議論は、以下の通り。
    • お世話係、世話係 (管理者の名称は実態と一致していないため)- Ronaさん
    • 調整人、削除人(削除権限を持っているため) - Tskさん
    • 事務員、事務処理、事務管理員。耳慣れない言葉だと説明しなければならないが、これなら比較的内容が想像しやすいと思われる。 - いぬさん
    • ox人という表現は余り多くないのでox役など他の表現の方がよいのではないか。 - kzhrさん
    • 総監、総督、総統、元帥 (以上は、冗談混じりとも。) - Mulukhiyyaさん
    • 管理係、用務員 - Mulukhiyyaさん
    • 代表利用者、主査、管財人、総括者 (但し管理者のイメージ払拭にはならない) - Mishikaさん
    • 管理者でよい。 (管理者権限や法的責任から) - Ojigiriさん - Yoshitaka Miedaさんは、管理者は誰でもがなれるものなので、著作権違反などに関する法的な責任(削除義務)はないと異論。 - Tomosは、通常のサイト管理者とは違い、「管理者権限をどう行使するかについてのルール」を決めるのは管理者ではない点、理想的には個別の件についての裁量権なども行使しない方がよい点から、権限上多少違いがあると異論。 但し、削除義務など法的責任はある、とも。
    • 管理者でよい。 (各種権限から)- Sushiさん
    • 名称変更に賛成。 (管理者を増やすのが望ましく、名称変更は敷居を下げる効果が期待できす) - かぼちゃさん(= 左利きのかぼちゃさん)
    • 名称を変更してもしなくてもよい。
    • 管理者の役割について説明したページを設けて機会があればそこにリンクする、など他の解決策もありうる。 - Falcosapienさん
  • 管理者の役割について
    • 管理者は誰でもなれるべき。高度な編集機能
    • 理想的には、管理者はボタンを押す係であって、管理者権限の行使は一般的なルールと、参加者の総意に基づいて行われるべきで、管理者の裁量はないべき。現状では必ずしも管理者の行動について多く意見を述べる人がいないためにそうなっていないが、それが仕方がないと受け入れるべきか迷っている。 - Tomos
    • 批判ではないが、Tomosは真面目にやり過ぎていて、管理者が増えにくくなっている。 - かぼちゃさん(=左利きのかぼちゃさん)
    • 権限や責任を限定した、管理者以外の立場を設けるのはどうか - かぼちゃさん(=左利きのかぼちゃさん) - どの権限をどう限定するかが問題。 0null0さん
  • Tomosの言動について
    • Tomosに悪気はないのだろうけれども、次のような点が問題:ウィキペディアでは使っていない実名を使ったこと、管理者であることを自慢していること、職歴などではなくウィキペディアでの役割を語っていること、ウィキペディアのスペースを外部に貸すかどうかを決められる立場であるかのように匂わせていること、管理者であることを利用して一人だけ目立っていること。 - Yoshitaka Miedaさん
    • Yoshitaka Miedaさんの批判は曲解で、Tomosは自慢はしていないし、スペースを貸すかどうか決められる立場にあることを匂わせてはいないし、実名を使ったりウィキペディアでの役割を語ることは文脈に照らして適当。 - Kinoriさん
    • 管理者が何であるかについて、外部の人が誤解してもよいし、管理者が外部で自慢してもよい。 - Kinoriさん
    • 中で権威を振りかざすこと、脅しつけること、はあってはならない。 - Kinoriさん
    • 外部の人が誤解するのは、第一には外部の人の問題。 - Ronaさん
    • オープンソース系コミュニティ一般についてあてはまる原則として、公式なスポークスマンではなく参加者個々人がコミュニティについて語ってよいし、その際に自分がコミュニティで担当している役割を語ることは問題がない。 - Ronaさん
    • 自分がしている貢献を外部で公言できないのはおかしい。 - Ronaさん
    • Tomosは本家英語版との連絡係をしているので、管理者という呼び名は適切。 - Sushiさん


(以上は叩き台なので、よかったら上の記述を直接添削して下さっても僕は構いません。)Tomos 11:42 2004年1月2日 (UTC)

一気に結論や提案が出る話ではないと思うので、考えたことをぽつぽつ書いてみます。(といいつつ長くてすみません。)

  1. 参加者との平等(個々の管理者)
  2. 責任ある管理(ウィキペディア全体)

管理者の役割については、上の二つの要請がうまく解けていない状態なのだと思います。

ふつうの参加者は、特定の貢献や意見表明を要求されたりはしません。そのおかげで、楽しくウィキペディアに関われます。不満を感じた参加者は、どうかすると管理者に対してそういう要求を持ち出しますが、これは、利用者と管理者が平等であるべきという理想に反しています。

しかし、ウィキペディア全体が義務的に応えていかなければならない問題もあります。そういうときに、個々の管理者に対しての要求は控えるとしても、管理者集団への要求はなしですませるわけにはいきません。してみると、管理者には、一般の参加者より大きい責任があるのでしょう。

また、ウィキペディアはルールを読まずに参加していい場所です。Wikipedia: の関連文書をほとんど読まずに長く活動し、優れた貢献をしている人も多いはずです。参加者と平等というのが、そういうスタイルで管理の仕事までやっていいということになると、責任ある管理は不可能になります。

高度の能力ではないにしても、やはり管理者には経験と資質が求められると思います。Kinori 14:54 2004年1月11日 (UTC)

続き。個々の管理者が楽をしながら、全体として責任ある管理を実現するためには、(能力と暇の点で)力ある管理者がたくさんいなければなりません。今は少なすぎます。

それでもうまくいっているのは、Tomosさんが広い範囲で丁寧に面倒をみているからです。補う人がいないのにそれを抑えたら、困ったことになります。それに、人の自由な貢献を抑えるのも変な話です。

結局は、百の討論より二十人の管理者増が、いい方向に変えるのだと思います。話し合って役割を決めても、実際にその役を引き受ける人が不足していれば何にもなりませんから。

しかし今のところ増加ペースは遅いようです。個々の管理者が管理業務全分野のエキスパートである必要はありません。願わくば、議論のまとめ役や、各地の議事の開始と終了を書きとどめる書記役が、出てきてほしいと思います。後者については専用ページがあるとよいのかも。今はありませんよね。Kinori 17:21 2004年1月11日 (UTC)