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Wikipedia‐ノート:井戸端/subj/ふたたび即時削除タグ、SD貼り、剥がしについて確認しておきたいこと

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(表ページより移動、本サブページは、「即時削除」特にSDタグの貼りはがしの確認に特化させた議論という位置づけです。新年早々水を差されるのは不愉快かもしれないですが、お屠蘇気分で論点ずれた話で本文の議論を拡散させられるのも本論の趣旨、可読性を著しく損なうので困ります。とはいえこの議論は現状では論点がずれた話ではあるにせよ、別軸で有意義に発展する可能性、またいずれ確認しておかなかればならない話なので、改めてこのノート議論を参照して別のページあるいはコメント依頼として分離してつめる可能性はあると思います。--Clubpath 2009年1月3日 (土) 04:49 (UTC))[返信]

あけおめ。インデント戻す。

そもそも、「スタブ」とか「サブスタブ」とかいうのは「役に立たない記事」の婉曲表現なんで、本来はなくてもよいし、必要もないものなのだとおもいます。で、言うまでもないことですが、「役に立つ」というのは、「ウィキペディアが百科事典であることを期待して読む読者にとって役に立つ」ということです。だれかの自己満足のためにあるのでも、「当社は (誰それは) ウィキペディアに載っているくらい有名だ」と宣伝するためにあるのでもありません。

だから、そういうページを積極的に削除することには、一定の正当性があるとおもう。この間、Nekosuki600さんがSDはがしを連発したことに対して「SDをはがすのなら記事の改善ができることを示せ」という意見が消えなかったのは、そのためだとおもうのね。

サブスタブが削除されても、それは定義文が消され、ページの存在がなくなったというだけのことで、大騒ぎするほどのことではありません。改善した記事を投稿できるひとがいるのなら、ページを作成して定義文を書くのは造作ないことです。改善できるひとが当面いないのなら、そんな役に立たないものをいつまでも残しておいて読者をがっかりさせる必要はありません。

このことについてNekosuki600さんが一貫して言ってきたのは「方針文書の文言に理由をみつけられるかどうか」ということです。しかし、記事として役に立つ理由を説明できたことがあまりないようにおもいます。方針の文言にのみしたがえばいいというのなら、それは単なる法律ごっこです。またいっぽう、サブスタブといったものは検証可能性を満たさず、中立性が確保されておらず、独自研究のおそれを排除できていないのですから、そういうものをいつまでもウィキペディア上に残しておけるという方針の解釈は、どこかが間違っているようにおもいます。

Nekosuki600さんに逆に聞きたいんですが、そういう「役に立たない記事」を削除させないことには、百科事典としてのウィキペディアの成長や成熟という点からみて、結局どういうメリットがあるんでしょうか。特にメリットがないのなら、方針文書の文言を変えて、そういう役に立たないものをもっと簡単に削除できるようにしてもいいでしょう。 --Hatukanezumi 2009年1月3日 (土) 02:30 (UTC)[返信]

まず《サブスタブといったものは検証可能性を満たさず、中立性が確保されておらず、独自研究のおそれを排除できていないのですから》という論理はどうかなぁ、と思います。サブスタブであっても、検証可能性や中立的な観点を確保できており、独自研究のおそれが排除できているものもあるはずです。例えば「斎藤隆 (経営情報学者)」なんかはそれ該当するはずです。もし、方針を変更する方向で動くのであれば、そのようなものが存在することを認識した上で、どこで線を引くのかの検討が必要でしょう。もちろん、検討した上で削除対象に入ること自体は問題ないです。
次に《そういうものをいつまでもウィキペディア上に残しておけるという方針の解釈は、どこかが間違っているようにおもいます》とは述べておられますが、それは「方針の解釈」が間違っているのではなく「方針」が間違っているということではないでしょうか? それをNekosuki600さんらの解釈が間違ってるとも取れる表現をするのは何か作為的なものがあるんじゃないかと邪推してしまいます。《特にメリットがないのなら、方針文書の文言を変えて、そういう役に立たないものをもっと簡単に削除できるようにしてもいいでしょう》ともあるようにHatukanezumiさんは「その種のものの即時削除には現行方針の変更が必要」と認識しておられるようなので全体を通してはNekosuki600さんらの解釈が間違ってるとまでは主張するつもりではないようには読み取れるんですが。--iwaim 2009年1月3日 (土) 02:46 (UTC)[返信]
◆誰かが役に立たないと判断し消すべきだと思ったとしても、なんらかのきっかけでそのスタブ記事が怒濤の勢いで加筆され、それなりに役立つ記事に成長するということは、しばしば経験することです。なにがきっかけで成長がはじまるのかはわからない。この観点について、成長の前段階として「赤リンクが良いか、スタブが良いか」については両方の意見があり、少なくとも現時点ではどちらが望ましいか、どちらがより役立つ記事につながりやすいか、結論が出ていません。
また、「役に立たない記事」の定義についても、いろいろと対立がある。どの程度から役に立つ記事なのか、どのくらまでが役に立たない記事なのか。確かに、全く前提を持たない者にとってスタブ記事は役に立たないだろう。しかし定義文があるだけだとしても、その定義が理解のブレイクスルーになる場合はある。何かが「役に立たない」と談じる際には、自らの視点がどこに立脚しているかを認識しなくちゃいけないだろう。しかしながら、多くの場合「役に立たない」という断定は「自分にとっては役に立たない」という理由によっているとしか思われず、「誰にとっても役に立たないかどうか」の検討は行われていないように見える。あなたにとって役に立たない項目ならば、あなたはその項目を見なければ良いだけなのですよ。スタブ・サブスタブが貼ってあったら、さっさとそのページを閉じればよい。
まあなんだね。「日本語版Wikipediaは、スタブの存在を認めない」という方針転換を提案する分には止めませんし、万が一それが実現してしまったらそんときゃスタブが削除されることになっても文句は言いませんよ。しかし現状、Wikipediaは全体としてスタブを受け入れるという方針なんだから、諦めてはくれないかね。こんな堂々巡りに時間を浪費するのは、おれはまっぴらなんだが。--Nekosuki600 2009年1月3日 (土) 02:57 (UTC)[返信]
お屠蘇気分でもうちょっと書いちゃう。
ええとね。うえで書いたことを繰り返しますが、サブスタブとかスタブってのは、読者にとっては役に立たないもんなんですよ。そんなもんは (原則として) いらんでしょ。
記事の完成度を見るとき、わたしはツールボックスの「印刷用バージョン」をクリックすることにしている。これで表示されるものが、最終的な成果物です。ここには{{要出典}}だとか{{}}だとか{{中立的な観点}}だとかいったものは表示されない。なぜなら、これらは執筆や編集をするひと向け、つまりは記事制作の舞台裏で必要になるものだからです。読者には完成された記事を提供しなければならない、というのが基本的なスタンスだとおもうのね。ウィキペディアのモバイルバージョンの試験でもこんなものははぶかれているし、今後計画されているPDFバージョンでもそうだろう。実際、最近はウィキペディアで立項すると1日以内にGoogleなんかで検索可能になっている。最近も、翻訳途中で推敲が不十分な記事があちこちのブログで引用されて、焦ったことがある。投稿するなら完成度の高いものを、という圧力は高まっているとおもう。わたしが見なければいいのではない。読者が見るにたえるページであるかどうかが問題なんです。
で、わたしの問いにはこたえてくれてないようなんだけど、SDについての論調でここのところしばしば見られるのが「そのページがなくてよい、とは一般に言えない」という二重否定です。記事の内容を度外視すれば、そりゃどんなことだっていえるでしょう。 --Hatukanezumi 2009年1月3日 (土) 03:25 (UTC)[返信]
だからその「読者」ってのは誰のことなんだと。「読者には完成された記事を提供しなければならない、というのが基本的なスタンスだとおもうのね」って、思うのは自由なんだが、おれはあなたにはもっとふさわしい百科事典があると思う。ブリタニカなんかどうでしょうか。--Nekosuki600 2009年1月3日 (土) 03:56 (UTC)[返信]
ブリタニカもいいですね。少なくとも参考にすべきでしょう。ウィキペディアが単なるまとめサイトにならないためには。 --Hatukanezumi 2009年1月3日 (土) 04:01 (UTC)[返信]
お酒は苦手なもので御屠蘇気分ではありませんが横から失礼します。Hatukanezumiさん、Wikipedia:ガイドブック 編集方針に「少しずつ育てていく」という節があります。よく読んでください。読んだ上でご自身の考えが変わらないようでしたらご自分でブリタニカを翻訳するプロジェクトでもどこか他所で立ち上げた方がよろしいかと思います。それともうひとつ。Wikipediaに関して記事の完成度を確認するのは個人の自由ですが、どの時点で記事が完成したかを判断し、その認識を他者に強要する権限はHatukanezumiさんにはございません。その点はご了解ください。(これでHatukanezumiさんが納得できないようであれば、おそらくこの問題の本質は記事の完成度の問題ではなくメディアリテラシーの問題に根ざしているように考えます。)--Himetv 2009年1月3日 (土) 09:46 (UTC)[返信]
Hatukanezumiさんの考え方は、基本的にこのプロジェクトの理念にそっておらず、基本方針違反であると言えますね。とりあえずスタブ/サブスタブというのは記事の成長の初期フェイズとして存在が許容されている。たとえば、秀逸な記事、十二分に分量も内容も充実した記事を100とするパーセンテージの尺度をとると、全成長過程において、0から1(%)のフェイズの記述はプロジェクト内で存在してはいけないというルールはもちろんありません。即時削除に該当するのはこの0−1%の段階であっても、何についての記事か誰もわからない(項目の定義がない)が故に記事の方向性が定まらず、成長の見込みが皆無であると見なされる物件であり、これはすぐさま消しても何の問題もないでしょう。しかし、そうではないケースでは0−1%の段階だから、この記事は役立たずだ、なる主観を介入させることを方針は規定していません。そんなもんはいらん、とかいうのは、まったくの独自思想であり、ある種のレゴブロックみたいに、読者にとって役にたつ@POVを満たす加筆が、ボンボンと整然と積み重なり、その最初の単位は少なくとも5%くらいは欲しいなあ、というのは独自思想ですね。当然のことながら項目をたてるときにそのような要求は明示されていません。いずれにせよ、基本方針、即時削除の方針、削除の方針すべて管轄する範囲外の事象について主観を足して主張されているわけで、とりあえず、本論ともまったく関係ないし、こういうイニシャライズ編集は最低5%@POV=役に立つだろうから、というコンセンサスは存在しないし、今後もされることはまずないだろうと思います。--Clubpath 2009年1月3日 (土) 05:12 (UTC)[返信]
念のため。冒頭のコメント『「スタブ」とか「サブスタブ」とかいうのは「役に立たない記事」の婉曲表現なんで、本来はなくてもよいし、必要もないものなのだとおもいます。』
違います。そのような定義、意味合いはありません。立論の前提、事実認識が完全に間違っています。別の話を振り、他者の批判にもつなげるのであれば、最低限そのことばの定義について、自分の考えを言い放しにするのではなくて、方針文書に目を通す作法があって然るべきでしょう。
Wikipedia:スタブによれば、「ウィキペディアでは、まだ成長していない項目をスタブとよんでいます。たいていは、1段落程度の短さで、主題について十分に説明してありません。スタブはウィキペディアで調べ物をする人にとってあまり役に立ちません。ですから、スタブはきちんとした項目へと成長させなければなりません。ここでは、スタブをつくるときに心がけることと、スタブを成長させる方法について紹介します。」つまり、スタブとは不要で消すべきものではなくて、「まだ0−1%のフェイズで100%にまで程遠いから」そこからさらに成長させるとっかかりであることが明示されています。また、そのページには、「スタブをつくるときのガイドライン」とあり、どうやってスタブをつくるのか?と説明があります。サブスタブについてですが、ここに列挙されている条件に欠けるものを示すと思いますが、実質その辺は曖昧であろうと思うし、今サブスタブ、スタブの区分けを廃止する議論があります。--Clubpath 2009年1月3日 (土) 05:32 (UTC)[返信]

上に書いたことと関連しますが、Wikipedia‐ノート:即時削除の方針/ふたたび「定義なし」の抜本的修正、『定義』を『記事が対象とする主題』と書き換える提案をしました。このノートもポインタとして参照しています。--Clubpath 2009年1月3日 (土) 07:16 (UTC)[返信]