Category‐ノート:日本のキリスト教聖職者

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カテゴリの設定がおかしい[編集]

「日本の」で切るのは変。「カトリックの」神父・司祭・司教などは、まず第一義にカトリックの神父・司祭・司教である。スペイン人とか、フランス人とか、ブラジル人とか、日本人とかいったことは、小さな意味しか持たない。世界宗教においては、国境などというのはむしろきわめて弱い意味しか持たない。世界的宗教の聖職者というのは、一生の間に赴任国を3つも4つも経験する人も多いですよ。どこの国とかあまり関係ない。大切なのはどのような教えを伝えようとしているか、ということ。

正教会でも同じように国境はマイナーな問題。 牧師だって同じ。だから、このカテゴリーからも切り離して「日本の牧師」があるのは、2重3重の意味で変。

こんな区分を前面に持ち出そうとすることは、宗教に関して根本的な思い違いをしている。そもそも「日本中心主義に陥ってはならない」というウィキペディアのルールにも反している。 基本的にこのカテゴリは廃止したほうがよい。もしも仮に残すとしても、同一人物をまず「カトリックの聖職者」にも入れ、加えて「日本の...」というカテゴリも付す、という方法だろう。--222.146.150.4 2013年3月12日 (火) 01:10 (UTC)[返信]

各人物をみてみると、一応二重三重にカテゴライズしているわけか。しかたないと言えばしかたないが、カトリックと正教会が一緒でプロテスタントの牧師は別、というのも、やはりどうにも変だとの印象がぬぐえない。--222.146.150.4 2013年3月12日 (火) 01:28 (UTC)[返信]