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  • クルスクの戦いのサムネイル
    クルスク戦車戦クルスクとも呼称される。 1943年上半期第三次ハリコフ攻防結果、独ソ戦線はクルスクを中心にソ連側突出が生じた。ドイツ軍は消耗が激しく、もはや広大な戦線で攻勢をかける力がなかったため、局地的な攻勢を行って東部戦線を安定させ、予想される西側連合国
    42キロバイト (6,056 語) - 2024年3月28日 (木) 12:59
  • コラボレーション企画として、HDリマスター版がリリースされた。 独ソ クルスク戦い ドニエプル戦い バグラチオン作戦 ヴィスワ=オーデル攻勢 ベルリン戦い ヨーロッパの解放 クルスク大戦車戦 ドニエプル渡河大作戦 - allcinema ヨーロッパの解放包囲撃滅作戦…
    7キロバイト (859 語) - 2023年10月30日 (月) 20:51
  • 第二次世界大戦のサムネイル
    しかし、ドイツ軍は3月にマンシュタイン元帥作戦でソ連軍前進を阻止し、同15日ハリコフを再度占領した。7月5日からクルスク戦いは、史上最大戦車同士戦闘となった。ドイツ軍はソ連軍防衛線を突破できず、予備兵力大半を使い果たし敗北。以後ドイツ軍は、東部戦線では二度と攻勢に廻ることはなく、ソ連軍は9月24日スモレンスクを占領。11月6日にはキエフを占領した。…
    797キロバイト (125,284 語) - 2024年5月1日 (水) 16:48
  • ドニエプル川の戦いのサムネイル
    攻撃渡河先導となった。その後、キエフは別攻撃(英語版)により解放された。 戦争中でも損害大きな戦い一つであり、犠牲者は双方で1,700,000名から2,700,000名と推測されている。作戦はいくつか小さな作戦活動より形成されており、メリトポル(Melitopol)攻略作戦
    30キロバイト (4,708 語) - 2024年4月3日 (水) 01:31
  • ミハイル・ウリヤーノフのサムネイル
    ミハイル・ウリヤーノフ (カテゴリ オムスク州出身人物)
    zhivu (1957) カラマーゾフ兄弟 Bratya Karamazovy (1969) ヨーロッパの解放/1 クルスク大戦車戦 Osvobozhdenie: Ognennaya duga (1970) ヨーロッパの解放/2 ドニエプル渡河大作戦 Osvobozhdenie: Proryv…
    5キロバイト (420 語) - 2023年11月3日 (金) 12:26
  • ベルリンの戦いのサムネイル
    1ウクライナ方面軍も午前6時、ナイセ河から攻撃を開始し、砲撃と煙幕援護を受け渡河を行った。午前8時35分、133ヶ所渡河点を確保したコーネフは3親衛戦車軍(英語版)に命令を送り、南方からベルリンに侵攻する準備を指示した。 4月17日ジューコフはゼーロウ高地
    49キロバイト (6,177 語) - 2024年4月13日 (土) 15:56
  • ウクライナのサムネイル
    ウクライナ (カテゴリ ヨーロッパの国)
    ためにった。 ポーランド分割 ドニプロ川戦いにおいて、渡河ためにいかだを作る赤軍兵士たち。立札には「キエフへ!」と記されている ウクライナ系親衛隊徽章 バビ・ヤール 白ロシア共和国(現・ベラルーシ)とともに、ソ連とは別に国際連合加盟国として国連総会に議席を持った。1948年から2
    201キロバイト (23,263 語) - 2024年5月2日 (木) 08:26
  • スターリングラード攻防戦のサムネイル
    スク大ルーマニア4軍を突破した。唯一強力な予備兵力で、長砲身IV号戦車を装備したレイザー少将率いるドイツ29自動車化師団は、51軍に属する13機械化師団に反撃して損害を与える。しかし、パウルスが予備兵力を追加しなかった上、他の地区ソ連赤軍は味方損害をあえて無視して進撃
    95キロバイト (13,649 語) - 2024年4月1日 (月) 03:19
  • ゲオルギー・ジューコフのサムネイル
    ゲオルギー・ジューコフ (カテゴリ 2回ソビエト連邦最高会議代議員)
    兵員、5400両戦車と突撃砲、3000機以上航空機を有し、攻撃的防御は可能である。赤軍は兵員で30%、砲で70%、航空機で230%、枢軸軍を上回っている。この会議後、ジューコフは包囲有効性を主張したが、スターリンは全戦線で同時攻勢を採用した。最も重要な作戦ドニエプル以西ウクライナ全域を解放する作戦だった。…
    222キロバイト (32,697 語) - 2024年2月11日 (日) 13:15
  • ヤッシー=キシニョフ攻勢のサムネイル
    両翼包囲を基本方針としていた。 2ウクライナ方面軍はヤシ北部を突破後、ドイツ6軍が退却する前に自動車化部隊によってプルト川渡河点を占領する。その後、6戦車軍がシレト川渡河点と、シレト川とドナウ河間を結ぶフォクシャニ・ギャップを占領することになっていた。
    29キロバイト (3,606 語) - 2024年5月1日 (水) 13:36
  • ワルシャワ蜂起のサムネイル
    ワルシャワ蜂起 (カテゴリ 独ソ作戦と戦い)
    ヴィスワ川対岸プラガ地区占領に成功した赤軍は、市街地へ渡河が容易な状況にあったにもかかわらず、国内軍へ支援をせずに静観した。赤軍と共に東方からポーランドへ進軍しプラガ地区に到着していたズィグムント・ベルリンク将軍率いる1ポーランド軍(英語版)のみが対岸国内軍支援ため渡河
    20キロバイト (2,241 語) - 2024年2月29日 (木) 09:38
  • ソビエト連邦による満洲侵攻のサムネイル
    許可を得て、事前に作戦準備に取り掛かっていた。璦琿では、南方へ転用されずに残った精鋭である独立混成135旅団がソ連軍2極東戦線2赤旗軍(ロシア語版)上陸妨害に努めたが、数に押されて嫩江へ侵攻を許す。その後は独立歩兵796大隊と135旅団砲兵部隊が、渡河した上陸軍を肉弾
    61キロバイト (8,936 語) - 2024年4月19日 (金) 06:56
  • ナルヴァの戦い (1944年)のサムネイル
    ドニエプル・カルパチアン攻勢と同時に行われた。 1944年1月、ソビエト赤軍によるレニングラード・ノブゴロド攻勢を継続したエストニア攻略作戦は戦線を西にナルヴァへと押し戻し、エストニア内に深い突出を形成することを狙っていた。2月、赤軍はナルヴァ川対岸でいくつか橋頭堡を確保した。しかし、橋頭堡
    59キロバイト (8,204 語) - 2024年4月21日 (日) 03:59
  • 本項では、第二次世界大戦ルーマニア(当時はルーマニア王国)について解説する。 1939年9月1日、ナチス・ドイツポーランド侵攻により第二次世界大戦が勃発すると、カロル2世統治下ルーマニア王国は9月4日、中立を表明した。しかし、1940年にはナチス・ドイツが北欧とフランスとベネルクス三国を制圧してヨーロッパ
    69キロバイト (7,070 語) - 2024年1月29日 (月) 16:40
  • ドニエプル川東岸上陸を認めた。ただ、「渡河作戦中や東岸進出後にウクライナ軍は露軍攻撃を受け、1個半か2大隊を喪失した」とも主張し、東岸近くリンキー村で前進を阻まれ、士気も低く、毎日複数ウクライナ兵が「ロシア軍に投降している」と述べた。過去2-3日ウクライナ軍死傷者は、100人に上るとも主張した。…
    590キロバイト (88,300 語) - 2024年4月27日 (土) 16:18
  • 戦争犯罪などを記録する活動にも従事していた。ラマトルスクにはコロンビア作家や記者と共に訪れていたが、食事をしていたレストランがミサイル攻撃を受けた。 米シンクタンク「戦争研究所」は、ウクライナ南部ヘルソン州ドニエプル南岸に渡河したウクライナ軍を撃退したとロシア国防省
    619キロバイト (92,871 語) - 2024年4月27日 (土) 15:52
  • ドニエプル渡河作戦が困難となり、ウクライナ軍がザポリージャ州を緒戦主戦場に位置づけたとみる。ただ、ロシア軍は防衛線を重層的に構築。練度高い部隊もザポリージャ州に配置し、ウクライナ軍が最初防衛線を突破するとロシア軍は後方
    596キロバイト (90,871 語) - 2024年4月27日 (土) 15:51