ノート:石原莞爾

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実弟について[編集]

--203.181.55.248 2007年12月9日 (日) 15:44 (UTC)下記は事実でしょうか?兄弟というと六郎氏しか寡聞にして知りません。まして、高級軍人です。 「実弟は海軍大佐の時に飛行機事故で殉職している。」[返信]

ご質問に応じて内容を拡充しました。(資料に基づき一部誤りを修正)まず本文にも書きましたが、石原莞爾には十人の兄妹がいます。(うち四人は姉妹)六郎氏の名前からも分かるように彼は六男です。つまり莞爾には四人の兄弟がいました。二郎はその中の四男です。経歴については私も詳細を存じ上げているわけではありませんが、本文の注釈2にも書いたように、海軍兵学校、戦艦霧島を経ている海軍中佐であり、会議へ向かう途上の北海道で航空機事故で殉職しています。六郎氏は兄弟の仲で最も長寿だったために他の兄弟より名前が知られているのでしょう。--Kazu 62 2007年12月11日 (火) 12:31 (UTC)[返信]

南次郎?[編集]

【南次郎よりアジア主義の薫陶を受けていたため、明治44年(1911年)の春川駐屯時には孫文大勝の報を聞いた時は、部下にその意義を説いて共に「支那革命万歳」と叫んだと言う。】とありますが、南次郎ではなく、南部次郎ではないでしょうか?--以上の署名のないコメントは、‎58.94.133.186会話)さんが 2010年12月27日 (月) 08:51 (UTC) に投稿したものです。[返信]