自由立憲党 (エジプト)

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エジプトの政治史において、自由立憲党アラビア語: حزب الاحرار الدستوريين‎, Ḥizb al-aḥrār al-dustūriyyīn; 英語: the Liberal Constitutional Party)は、1922年にワフド党を去った政治家らによって設立された政党。

自由立憲党はアドリー・ヤカン・パシャが議長を務めた会議により、1922年に立党された[1]。その後、機関紙 Al Siyasa (The Politics) を発行する。ムハンマド・マフムード・パシャ、ムハンマド・フサイン・ハイカル、アリー・マーヒル・パシャといったワフド党出身の自由主義者が自由立憲党に加入した。国民主義保守主義がワフド党の党是であったが、自由立憲党は1923年4月19日に国王に承認された憲法を支持し、国制を世俗国家とすることを支持した。親イギリスであり、エジプトとスーダンが不可分一体の国家となることを主張した。1930年代の自由立憲党は、ムハンマド・アッルーバが党首を務めた[2]。エジプトのほかの政党と同様、1952年の軍部クーデタ後に政治活動を禁止された。

  1. ^ Shillington, Kevin (2004). Encyclopedia of African History. Routledge. p. 800 
  2. ^ Thomas Mayer (July 1982). “Egypt and the General Islamic Conference of Jerusalem in 1931”. Middle Eastern Studies 18 (3): 315. JSTOR 4282896. https://www.jstor.org/stable/4282896.