皆川広隆

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皆川 広隆(みながわ ひろたか、慶安元年(1648年)- 宝永7年1月13日1710年2月11日))は、江戸幕府旗本皆川秀隆の子。母は松平成重の娘。通称、左京。

明暦3年(1657年)父が没し家督を継ぐ。元禄10年(1697年)頃に領内の常陸国行方郡中根村、繁昌村、吉川村の広大な田(30余町歩余)の水不足解消の為灌漑用水事業を行った。水不足が無くなり、舟の通行をできる運河を造成したので、善行としてたたえられ皆川堀と呼ばれた。元禄11年領地を遠江国豊田郡、山名郡、周智郡内に移された。元禄14年に家督を嫡男皆川広逵に譲り、隠居し説翁と号した。宝永7年、63歳で没した。

参考文献[編集]