玉井定時

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玉井定時
時代 江戸時代前期 - 中期
生誕 正保3年(1646年
死没 享保5年(1720年
改名 十兵衛、亀之助
別名 与左衛門、以長斎
戒名 以長禅定門
幕府 江戸幕府
氏族 井関氏→玉井氏
父母 父:井関六大夫
与市右衛門定勝
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玉井 定時(たまい さだとき)は、江戸時代前期の奈良奉行所与力。『庁中漫録』・『元禄年間山陵記録』・『大和名勝志』の執筆者。

略歴[編集]

正保3年(1646年)奈良奉行所の与力、井関六大夫の長男として誕生。若い頃は大和国郡山藩に仕えて大和各地の文献や伝承を調査した。延宝7年(1679年)33歳の時、父の跡を継いで与力になった。

天和2年(1682年)奈良奉行に大関増公が着任、翌年改姓を命じられ、玉井姓となった。姓のうちに“関”があったからである。奉行所では執務のために関係資料を収集する必要が生じたため、定時にも文献調査とその記録が命じられた。奉行所を退職した後は、大和の地誌である大和名勝志全16巻を完成させ、享保5年(1720年)に75歳で世を去った。

系譜[編集]