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  • 出雲玉作史跡公園のサムネイル
    出雲玉作史跡公園(いずもたまつくりしせきこうえん)は、島根県松江市玉湯町にある考古遺跡「出雲玉作跡」宮垣地区の保存と公開を目的として整備された公園である。公園全域が国の史跡に指定されている。 当公園は古墳時代から奈良時代・平安時代にかけ勾玉や管の生産地として栄えた花仙山の麓、玉造温泉街を見下ろす
    5キロバイト (474 語) - 2022年10月8日 (土) 14:16
  • 玉作湯神社のサムネイル
    玉作部により奉斎されたものと推測されている。『古語拾遺』では櫛明命が出雲国玉作の祖である旨が記されており、現在の玉作湯神社ではこの櫛明命を祭神の1柱に祀っている。また同書では、天富命が斎部諸氏を率いて各種神宝をらせたうち、櫛明命の子孫には「御祈(みほきたま)」をらせ、その櫛明
    16キロバイト (2,007 語) - 2023年11月28日 (火) 04:54
  • ウィキペディアには「玉作」という見出しの百科事典記事はありません(タイトルに「玉作」を含むページの一覧/「玉作」で始まるページの一覧)。 代わりにウィクショナリーのページ「たまつくり」が役に立つかもしれません。wikt:たまつくり…
    2キロバイト (0 語) - 2024年4月18日 (木) 08:28
  • 玉造団 (玉作軍団からのリダイレクト)
    玉造団(たまつくりだん)は、8世紀から10世紀まで日本の陸奥国に置かれた軍団の一つである。玉作軍団(たまつくりぐんだん)とも言った。蝦夷勢力に対する最前線の軍団として丹取軍団(にとりぐんだん)の名で設置され、728年に改称した。玉造郡に置かれたと考えられるが、正確な位置は不明である。…
    5キロバイト (1,009 語) - 2022年3月21日 (月) 07:25
  • 石作神社・玉作神社のサムネイル
    神社・玉作神社(いしつくりじんじゃ・たまつくりじんじゃ)は、滋賀県長浜市に鎮座する神社である。式内社で旧社格は県社。 石神社 天火明命 玉作神社 祖命 中世以降の度々の戦禍により創祀の年代・由緒は不詳。近隣の水田に「石」という塚があり、禁足地となっており、旧社地との伝承がある。明治9年(…
    2キロバイト (133 語) - 2017年8月7日 (月) 21:22
  • 真苑雑物 (玉作佐比毛知からのリダイレクト)
    さいもち)は、平安時代初期の貴族・僧侶。氏姓は玉作(無姓)のち真苑宿弥。名は佐比毛知とも記される。官位は従五位上・玄蕃頭。 出自は玉作氏。出家して孝成と名乗り、興福寺の僧侶になった。弘仁6年(815年)には宮中にて天台宗の光定と宗論を行う。 のち還俗して玉作 佐比毛知と名乗る。弘仁7年(816年)に従…
    2キロバイト (279 語) - 2021年5月29日 (土) 11:43
  • 『ダニー・ケイの替え玉作戦』(原題:On the Double)は、1961年のアメリカ合衆国のコメディ映画。ダニー・ケイ主演。監督はメルヴィル・シェイヴルソン(英語版)。 ※括弧内は日本語吹替(テレビ版) マッケンジー将軍/アーニー:ダニー・ケイ(羽佐間道夫) マーガレット:ダナ・ウィンター…
    3キロバイト (163 語) - 2022年1月8日 (土) 08:44
  • 画像提供依頼:風景の画像提供をお願いします。(2016年11月) 新穂玉作遺跡(にいぼたまつくりいせき)は、新潟県佐渡市にある弥生時代後期の遺跡。正確には旧新穂村地域にある竹ノ花・桂林・平田・城ノ畠の4つの遺跡の総称。いずれもの製作施設の跡と推定されている。・新潟県指定史跡。…
    2キロバイト (304 語) - 2019年8月29日 (木) 07:40
  • 回紀事』日本人類学会・日本民族学協会連合大会事務所、1955年、P.89頁。  ^ 植木哲也『学問の暴力』春風社、2008年、P.96頁。  ^ 児玉作左衛門「アイヌ民族の生態」『日本農村医学会雑誌』第3巻第4号、日本農村医学会、1955年、1-6頁、doi:10.2185/jjrm.3.4_1。 …
    11キロバイト (1,649 語) - 2024年4月28日 (日) 00:56
  • 玉作部 広目(たまつくりべ の ひろめ、生没年不詳)は、奈良時代の防人。駿河国(現在の静岡県)の人。 玉作部(たまつくりべ)とは、勾玉などの製作を生業とした部民をいう。天平勝宝7歳(755年)2月、防人として筑紫に派遣される。『万葉集』に1首入集。 我ろ旅は旅と思ほど家にして子持ち痩すらむ我が妻悲しも(万葉集20-4343)…
    1キロバイト (140 語) - 2019年8月20日 (火) 03:35
  • 高道鯛釣 (玉作鯛釣からのリダイレクト)
    たいつり、生没年不詳)は、平安時代初期の貴族。氏姓は玉作(無姓)のち高道連、高道宿禰。官位は正五位下・摂津守。 玉作(玉造)氏は前漢の劉邦の子である劉肥の子孫を称する漢系渡来氏族。玉作の呼称はかつて類の製造を職掌とした玉作部に由来する。 嵯峨朝の弘仁2年(811年)玉作
    3キロバイト (395 語) - 2020年6月20日 (土) 01:44