溝口助勝

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溝口助勝
時代 江戸時代前期
生誕 慶長16年(1611年
死没 寛永13年5月24日1636年6月27日
別名 通称:権佐または権之助
戒名 東繁
墓所 青松寺
幕府 江戸幕府旗本
主君 徳川家光
氏族 溝口氏
父母 父:溝口善勝、母:前田長種娘・慶春院
兄弟 政勝助勝安勝信勝
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溝口 助勝(みぞぐち すけかつ)は、江戸時代前期の旗本越後国沢海藩初代藩主・溝口善勝の次男。2代藩主溝口政勝の弟。分家独立して旗本となったが、一代で断絶した。通称は権佐または権之助。

略歴[編集]

寛永4年(1627年)、2代将軍・徳川秀忠に初めて拝謁する。同11年(1634年)、父の遺領のうち越後蒲原郡の3000石を分与されて分家独立し、3代将軍徳川家光に仕える。同13年(1636年)5月24日、26歳で歿。法号は東繁。江戸貝塚の青松寺に葬った。

助勝には嗣子が無かったため家は断絶し、その遺領は兄の政勝が預かったが、のちにそのうちの2000石が弟の信勝に与えられた。