永井直孟

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永井 直孟(ながい なおたけ、寛永4年(1627年) - 延宝4年8月23日1676年9月30日))は、江戸時代前期の旗本永井直貞の子。弟に勝早。通称は十左衛門。官途は対馬守。子に永井勝景万治元年(1658年)家督を継ぎ、万治2年(1659年)8月、水野半左衛門守政とともに定火消に任命され、北の丸鼠穴に火消屋敷を与えられた。延宝3年(1675年)に直澄(なおすみ)に家督を譲る。

参考文献[編集]

  • 『江戸東京年表』(吉原健一郎・ 大濱徹也著 小学館 2002年)p42