武田信之 (高家)

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武田 信之(たけだ のぶゆき、文化4年(1807年) - 明治4年10月2日1871年11月14日))は、幕末高家旗本大和国郡山藩柳沢保光の七男で、3代前の武田家当主信明は父の実弟にあたる。通称は啓之丞、号は舜山。官位は従四位下・侍従、左京大夫。

略歴[編集]

  • 文政7年(1824年)4月1日 - 将軍徳川家斉御目見する。
  • 文政13年(1830年)4月7日 - 部屋住ながら高家見習に召し出される。
  • 天保元年(1830年)12月16日 - 従五位下・侍従・左京大夫に叙任する。後に従四位下に昇進する。
  • 安政3年(1856年)10月11日 - 養父信典の隠居により、家督を相続。同年11月16日高家肝煎に就任する。
  • 安政5年(1858年)8月2日 - 高家肝煎を辞職し、高家末席に列する。同年11月24日隠居し、養子崇信に家督を譲る。
  • 文久2年(1862年)12月9日 - 剃髪し、舜山と号する。
  • 明治4年(1871年)10月2日 - 死去。

子女[編集]