正親町守子

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正親町 守子(おおぎまち もりこ、生年不詳 - 元亨2年11月9日1322年12月17日))は鎌倉時代後期の女官。権大納言正親町実明の長女。伏見院後伏見院後宮に入る。寛胤法親王道凞法親王承胤法親王長助法親王亮性法親王璜子内親王(章徳門院)の生母。

生涯[編集]

はじめ、瑛子内親王(陽徳門院)に仕えて三条局と号した。後に伏見天皇後宮に入って寛胤法親王・道凞法親王を生む。さらに、祖父・洞院公守の養女となると、後伏見天皇の後宮に入って承胤法親王・長助法親王・亮性法親王・璜子内親王(章徳門院)を出産し、東御方(ひがしのおんかた)と称された。元亨2年(1322年)11月9日に父に先立って死去。享年不明。

参考文献[編集]