桜井三木三

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桜井 三木三
時代 江戸時代末期
生誕 天保元年(1830年
死没 元治2年2月11日1865年3月8日
別名 玉井氏、知章(諱)
官位正五位
主君 毛利敬親
長州藩藩士
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桜井 三木三(さくらい みきぞう)は、江戸時代幕末武士長州藩士。諱は知章。

来歴[編集]

いわゆる正義派・俗論派と呼ばれる派閥争いが長州藩内で発生した際、桜井は同士の冷泉五郎らとともに中立派の鎮静会に加わり、藩内争乱の調停を目指す。諸隊との調停のため、山口の諸隊屯所へ赴いて藩論の説明に心を砕くが、その帰途、俗論派に属する選鋒隊隊士によって襲撃され、同僚の冷泉や香川半助とともに殺害された。元治2年(1865年)のことだった。

明治44年(1911年)、正五位を追贈された[1]

脚注[編集]

  1. ^ 田尻佐 編『贈位諸賢伝 増補版 上』(近藤出版社、1975年)特旨贈位年表 p.28

参考文献[編集]