本多正堅

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本多正堅
時代 江戸時代中期
生誕 元文元年(1736年
死没 宝暦7年7月20日1757年9月3日
改名 亀五郎、三彌(幼名)、正堅
戒名 彰信祗承院
官位 従五位下紀伊守
駿河田中藩世嗣
氏族 本多氏(三弥左衛門家)
父母 本多正珍
兄弟 正堅正供正敬戸田忠寛正室、
大久保忠卿正室、桂雲院
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本多 正堅(ほんだ まさかた)は、江戸時代中期の駿河国田中藩の世嗣。官位従五位下紀伊守

略歴[編集]

2代藩主・本多正珍の長男として誕生。幼名は亀五郎、三彌。

田中藩世嗣であったが、家督相続前の宝暦7年(1757年)に22歳で死去した。代わって、弟・正供が嫡子となった。

法名は彰信祗承院。