山野茂樹

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山野 茂樹(やまの しげき、文政6年1月10日1823年2月20日) - 明治15年(1882年9月19日)は、幕末-明治時代の武士、殖産家[1]。名は元敏[2]。初め主馬と称した[2]

経歴・人物[編集]

陸奥弘前に生まれ、同藩の藩士を務める[2]。同藩の藩校稽古館の総司を務め、用人、参政を歴任[2]戊辰戦争では奥羽鎮撫総督府への使者をつとめる[1]。明治2年(1872年)100俵を給され、正小参事となる[2]廃藩後、明治8年(1875年)にはリンゴの試植苗の配布を受け、明治10年(1877年)に初の結実に成功[1]。その他養蚕養豚などの士族授産事業にもつくした[1]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『山野茂樹』 - コトバンク
  2. ^ a b c d e 朝日日本歴史人物事典(朝日新聞社)『山野茂樹』 - コトバンク