小堀政徳

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小堀 政徳
時代 江戸時代後期
生誕 明和4年(1767年
死没 文政8年5月6日1825年6月21日[1][注釈 1]
別名 治左衛門、孝次郎、内記、宗勇(号)
幕府 江戸幕府 旗本
氏族 小堀氏
父母 父:小堀政弘、母:渡辺貞綱の娘
兄弟 内藤忠高妻、政徳、椿井政堯、梶正員、政幸、小山英昌、政周、三河口輝清妻
前妻:本堂親房の娘[1]
後妻:本堂親房の七女[2]
小堀政純
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小堀 政徳(こぼり まさのり、1767年明和4年) - 1825年6月21日文政8年5月6日[注釈 1]))は、江戸時代後期の旗本。禄高は3000石[2]。茶道小堀遠州流家元の第10世で、号は「宗勇」[1]

幼名は治左衛門、のち孝次郎、内記を名乗った[1]天明8年(1788年)11月5日に父の遺跡を継いだ[2]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ a b 小堀遠州流ウェブサイトは没年を「1819年」と記すが[1]、本文にある「文政8年5月6日」はグレゴリオ暦1825年6月21日である。没年の(数え年)59歳にも合致するためこちらを正とした。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e 歴代家元 - 小堀遠州流
  2. ^ a b c 寛政重修諸家譜』巻第千二十四